日本人とは何者なのか?
▼はじめに
みなさんこんにちは、天日矛です。
今回は前回に引き続き高尾洋平さんをお招きして、「日本人とは何者なのか?」というテーマでお話を伺っていきたいと思います。
高尾洋平さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
今回のテーマは「日本人とは何者なのか?」ということなんですが、非常に漠然としていて、どんな切り口で語るのかによっていろいろな話ができると思います。
学術的な話だけで凝り固まると面白くないので、少しロマンも交えながら、なおかつ今後の私たちの立ち位置のヒントとなるものも入ったら、面白いのではないかと思っています。
語り出したら本当にきりがないので、早速ですが、俗っぽいところの話からしていきましょう。
▼古代イスラエルの失われた10支族
多くの人が「日本人のルーツは、古代イスラエルの失われた10支族ではないか。」と語っている話を、よく耳にします。
これについて簡単にご説明いたします。
紀元前11世紀、ダビデ王やソロモン王で有名なイスラエル王国ができる。
ソロモン王が死んだ後、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分かれる。北のイスラエル王国は、紀元前722年にアッシリアに滅ぼされる。南のユダ王国は、紀元前586年に新バビロニアに滅ぼされる。
そしてこの北の方の10支族が,散り散りバラバラになった後、世界的にどこに行ったのかがわからない、というのが歴史学的な謎とされている。
唯一手繰り寄せてわかっているのが、ミャンマーなどの少数民族なのではないか、ということです。
ここからは仮説に過ぎないのですが、「日本人が、この失われた10支族の系統を引き継ぐのではないか。」と言われています。
このことについて、高尾さんはどう思われていますか。
そうですね。古代イスラエルを構成していた12部族には、「レビ族」や「ガド族」などがいたとされています。
例えば日本では、もともと天皇をあらわす帝を「ミガド」と発音していたようです。ガド族のガド、「高貴な」などの表現ですけれども、他にも古代イスラエルと日本語の言葉が近いものがあり、もともと何かの由来があるのかもしれません。
もう少し言うと、竹内文書には「世界に飛び立った16方位の種族が、世界に文化を広げていくとともに、新しい文化を持ち帰るミッションだった。」ということも書かれています。
もしかしたら日本繋がりで行ったチームが、シュメールルートからバビロニアを経て、日本にまた戻ってきた、という背景があったと考えてもおかしくありませんよね。
そこには四国の剣山とか、そういう話も出てくるのですが・・・。
今、面白いことをおっしゃったんですけれども、「帰ってくる」ということについて、少しご説明します。
もともと縄文時代にいた日本人が、今のイスラエルのあたりに渡って行った後、散り散りになってまた日本に戻って来た、という話です。
諸説ありますけれども・・・。
そうですね。
農業や言語などの文化を広げて、向こうの現地の種、文化を持ち帰り、日本とまた融合するという「シオンの運動」というか・・・。
熊本県に「幣立神宮」というところがあるんですが、そこで「五色人祭」というお祭りを毎年行っているんです。5年に1回は大祭があります。
この「五色人」というのは、いろいろな民族のもとになっているのが日本人で、そこから様々な大陸に渡って行った、という伝説からきています。
それに繋がっているように思いますね。
そうですね、五色人。
いわゆる赤人となれば、パプアニューギニアやアボリジ
ニー、マオリ族などが赤人と言われたりしますね。
昔の話というのは、全部仮説にすぎないところがもどかしいですね。
けれども一方では、例えば言葉であるとか、文化であるとか、そういう共通項があって、もう隠しようがない民族的な共通点というのはありますよね。
いわゆる「日ユ同祖論」の話ですけれども。
例えばシュメール語からヘブライ語にかけて、長い年代が過ぎてもあまり言語形態が変わっていない、と言われています。
また、いくつか母音と子音の使い分けというものにポイントがある、など様々な言語で遺伝子のように文化を追うことができる、という背景があるので、そこも注目点ですね。
これは本当に永遠の謎とされるテーマなのでしょうね。
真偽のほどは定かではないにしても、私は個人的に私たち日本人をそういう視点、そういう昔の系統があるのかもしれないということを、ひとつのアイデンティティとして持つのは、ありだと思っています。
いわゆる「モーゼの十戒」を果たし、秦一族が日本に戻ってきた後、かなり長い間政権に貢献し続けるということは、由縁としてわからなくはないですよね。
それが、聖徳太子や蘇我のチームもそうだったと・・・。
▼遺伝学的にYAP遺伝子を引き継ぐ民族
歴史好きな人としては、この話はなかなか面白いですね。さらに遺伝学的な話にアプローチしていきたいと思います。
私は動画でも取り上げたんですが、「日本人は、遺伝学的には『YAP遺伝子』を引き継ぐ民族である。」ということは、はっきりわかっている話です。
男性が持っている遺伝子のY染色体でグループ分けをする、「Y染色体ハプログループ」というものがあります。
このハプログループの配列で、資料によると
「YAPは Y染色体にあるAlu配列。Y染色体ハプログループでは、ハプロタイプ 『D,DE,E』がこれにあたる。日本人ではプロタイプ『D1a』が該当する。」
ということで一般的に言われるように、「日本人はYAP遺伝子を持っていて、YAP遺伝子が世界唯一無二のものである。」と考えたら、それは少し誤解です。
上記の通り、YAP遺伝子というのはこのハプロタイプの「D,DE,E」にもそれぞれ配列としてはある、という話なんです。
それでは、何で日本人がこのYAP遺伝子として特徴があるのかというと、その中でもハプロタイプ「D1a」。これはほぼ日本人のみなんです。それがこの「YAP遺伝子を引き継ぐ」という意味です。
だからよく「Dの遺伝子」、「Dを引き継ぐもの」みたいなニュアンスで言われたりしているわけです。
そうですね。「D1a、D1b」というグループが40%ぐらい日本にずっと居続けたということですね。あとはチベットや沖縄も「D1a、D1b」が多いところで、イスラエルもそうですね。
そういう血統の繋がりですけれども、これは一説によると、「アフリカから始まるハプロ細胞の異常によって、このY細胞が、突然アフリカを離れる。」という背景があるようです。
そのグループができた時に不思議なのは、他の地域で子どもたちを落とさず、突如として日本に戻り続けた、ということです。そしてさらに、戻った後は日本から外に出なかった結果40%が残った、ということになります。
最近、いろいろな研究結果がひっくり返りつつある、と注目が集まっていますね。
個人的に感じることは、この DとEが分かれたのが6万5千年前というふうに言われているのですが、だとすると、その前にYAP遺伝子の配列がなくてはこの理論が成り立たないということです。
6万5千年前に既に文化を持った日本人がいたのかどうか、という議論にもなってくるんです。(※注 諸説あり)
高尾さんがおっしゃったように、今有力とされている説が覆るということは、今後多分起きてくるのではないかと思っています。
▼日本人の遺伝的特徴 ➞ 親切、真面目、勤勉
では、次のテーマで「日本人の遺伝子的な特徴」というものを考えていきたいと思います。
このDの意志を受け継ぐYAP遺伝子ということで考えた時に、その特徴は何かというと、いわゆる「親切である。真面目である。勤勉である。」ということがよく言われていますよね。
今の日本人にも、古代から変わらずという感じが見られますね。
特にさっき高尾さんがおっしゃったように、沖縄やアイヌ民族はこのDの遺伝子を持つ者が、大体人口比的に8割近くになるんですよね。
日本列島でも離れている沖縄と北海道が、どうして同じ共通の遺伝子比率を持つのか?と言う話なんですが・・・。
おそらく縄文人はまず、日本列島にまんべんなく広がっていったと思うんです。そこに、大陸から別の遺伝子を持った者たちが渡ってきた。
そこで彼らは、争いを起こさなかったんですよね。争わずに土地を譲る、自分たちが遠のく、ということをやってきた結果、端に押しやられたのだと思うんです。
言い方を変えると、この日本人のYAP遺伝子というものは、島国だったからこそ、それが脈々と残っていったということです。
これがもし、大陸にポツンとその遺伝子が入っていたら、おそらくすぐ淘汰されて根絶やしにされていたと思うんですよ。何故かというと、支配される側の男性は皆、運命としては殺されるか、奴隷にされるかしかなかったからです。
だから本当は、根絶やしにされるはずの運命の遺伝子だった。けれどもそれが、日本列島で奇跡的に生き長らえて、この世界でも特殊な「親切で、真面目で、勤勉」という特性を持ち続けることができた。そういうことではないかと思います。
▼日本人の持っている特性
また、3万年前から船を使った海洋航海が始まっていたこともあり、黒潮などの流れに乗って、何らかの理由で漂着する人たちはいたでしょうね。
そこでとりあえず言葉もわからないまま、「まあ、ご飯食べなよ。」というような文化の交流が始まり、そのまま居つく人もいたりして、受け入れることは多かったのだと思います。
そういう意味では、40%が出なかったほど日本が豊かで、暮らしやすかったのだと思いますね。
そうですね。今までの話を少しまとめます。
仮説に過ぎないのですが、日本人は古代イスラエル支族の文化や民族的な血流があり、遺伝子的にもそういう特徴があると言われている。そうしたところが日本人の日本人たる独特な特性に繋がっているのではないか、ということですね。
それでは、具体的にもっと日本人の特性についてお話しすると、どんな感じになるんでしょうか。
そうですね。ひとつ変わっているのは、言語ですね。
特に、私たちの声帯というものにすごく工夫が施されていて、自然音という母音で生まれたものを言語にうまく変えているのですが、「あいうえお」のみ左脳で取ることができるんです。
いろいろな発声言語がある中で、特に日本語は声音と母音をうまく使っていて、「虫の声」という言葉があるくらい、音ではなく声で聞こえます。何らかのメッセージとして聞こえるんですね。
例えば、赤ちゃんの泣き声も何らかの感情表現として捉えるくらい、左脳で母音を捉えることができるのは、ポリネシアと日本だけの言語形態なんです。これが日本語という言語が持っている、ひとつの特性ですね。
また、振動数のひとつのポイントとなる声を響かせる骨というものが、実は私たちのエネルギーに繋がっているという特性もあります。
日本人が穀物を圧倒的に食べてきた結果でもあるのですが、いわゆるイソフラボンがカルシウム漏れを防ぐことで、欧米人よりも骨が2倍ぐらい強くて、骨折しにくいと言われています。それくらい骨密度が強いらしいです。
私たちが長きにわたって米を食べ、豆を食べ、骨を鍛えてきた背景もあって、私たちの体は実は、すごく密度が高い振動体みたいなもののようです。
そのように日本語は、言語と骨が紐付いている、少し不思議な特性を持っていますね。
面白いですね。
また聞いた話では、海藻などをよく食べるところにも特徴があるとか・・・。
そうなんですよ。日本人は何百年、何千年と長きにわたって海藻を食べ続けてきました。何も食べる物がなくても、海にいっぱい生えている昆布やわかめを食べることができたんです。
そうした中、わかめについている付着菌がいたんですね。雑菌です。それを長年食べ続けることによって、常在菌としてコラボしたようです。「僕、中で消化する役割をするから、人間の遺伝子の中に組み込ませてよ」というように。
このように、長きにわたって生で食べてきたという背景もあって、日本人はわかめなどの海藻を消化できるようになった、と言われています。
いかに海洋時代が長かったのかということは、昆布などを使った旨味調味料の文化にも見ることができますね。
食生活って、結構身近で大事なものなんで、そういうところが我々日本人の感性に生きてくる、特徴づけられるということなんでしょうね。
我々は日本人として普通に暮らしているので、当たり前だと思っているんですが、実は別の民族にとっては珍しいことだった、という感じですよね。
そうですね。もっと言うと、世界をまわった日本の樹木医さんのお話なんですけれども・・・。世界のはげ山ってなかなか元には戻らないそうなんですが、日本のはげ山はすぐに戻るそうです。
山と川の繋がりが深いので、エネルギー循環が起きているからだそうです。だから本当に100年足らずで山が再生するくらい、日本の山はすごく肥沃で、エネルギーを持っているんだそうです。
火山帯だったり、暖かかったり、気候や風土に恵まれていることもあります。日本人の方が、日本の凄さを知らないことって多いんでしょうね。
今のお話、すごく納得がいくんですが・・・。
一方では日本は自然地理学的に、自然災害がめちゃくちゃ多いですよね。水害であるとか、豪雪であるとか、台風であるとか、地震であるとか・・・。
言い方を変えると、そういう自然の循環が大きくて激しいことと、そのこととでトレードオフになっていますよね。
この自然に対して向き合っていく。面白いですね。
少し脱線しますけれども・・・。
スサノオのヤマタノオロチとは、治水工事のことだという伝説もあります。
いわゆるヤマタノオロチの退治とは、出雲の王、「天皇」を意味する役職名であったスサノオが、当時氾濫しやすい川だった斐伊川を治めた、という土木事業、治水工事の功績を象徴したものだと言われているんです。
日本人の民族的な特性は、そういう自然や食生活や遺伝子など、いろいろなことが複雑に絡み合って成り立っている、ということになりますよね。
そうですね。特に日本人は、末梢神経の数がとても多いと言われています。
ある意味、繊細で気が利くという「気の文化」を持つ一方、いろいろと気を使い、空気を読み過ぎるが故に神経を病みやすい、という繊細で特殊な人種だといえます。
言語形態や味覚情報などの神経の数が多く、社会のストレスを溜めやすいという民族性をどう生かすか、というところですね。
今の話と繋がってくるんですけれども、西洋人で気づいている人たちもたくさんいると思うんですが、日本人がこれだけ特異性があって、他に類を見ない感性を持った民族であることは、ある意味白人優位思想の中では、驚異的に見られている部分があるのではないか、と思っています。
どうですかね?
そうですね。特に戦争の時には、やはり怖かったんだろうなと思います。
自分の命を捨てても、大本が守れればいい、個を捨て、感情を捨てることに「決死」ということに、ですね。
そこには命の躊躇がないことに驚かれた、というのがあって、そこからいろいろ分断統治に向けた政策が始まったのかな、という感じはします。
▼戦後のGHQ政策
はい、そうですね。ここから先の話は、少し言葉を選びたいと思います。まあ、ざっといきましょうね。
戦後、GHQ政策が入ってきた時に、やはり日本人というのはちょっと危ないぞ、驚異的だぞということで、骨抜きにしようとするということが、よく陰謀論的に言われるんですが、事実あると思うんですよね。どうですかね。
そうですね。特に集団一致というか、一団となった時のパワーが凄い、ということはよくわかっているので、いかに分断するか・・・。
例えば、紅白歌合戦や阪神対巨人のように右と左に分けて、政権に向けずにどっち派?というように1個の派閥に向かうようにしています。二項対立を作ることによって、監視体制を作ることができるんです。
そのように、2つに割ってうまく政策を運ぶというように、日本に誘致してきました。
ああ、そうですね。ここはちょっと言えないところがたくさんありますよね。まあ、この辺のところは、皆さんのご想像にお任せいたします。
要は、日本人のそういう部分をいかに抑えようとするか、というところがある、ということなんですよ。あんまり言うと、チャンネルが飛んでしまうんで・・・。
▼誤った選民思想
けれども戦後から時がだいぶ経って、国際情勢も変わりつつある中で、今後我々日本人がまた、イニシアティブを取っていくような状況もあると思うんですよ。
そこで一番気をつけなければいけないのは、「誤った選民思想」なんですよね。トラップをかけてくるとしたら、これだと思うんです。
今、日本人をずっとヨイショしているような話ばかり続いていますけれども、それはある一面だけであって、やはり日本人にも課題がたくさんあります。
そのひとつは、誤った選民思想に陥ることです。それは間違いだと、私は個人的に思っています。結局、これだけ特異性があるということは、言い方を変えると、排他的でもあるんですよね。
その排他的な部分というのは、裏目に出たら、誤った選民思想に陥る可能性だって当然あるわけで、それがトラップにかかったら、先の第二次世界大戦の二の舞を踏んでしまう可能性だって当然あるんですよ。
そうですね。いわゆるプロパガンダですね。
政治的何かの意向が、いつの間にか介入してくるものが、いわゆる選民思想だったりするので、過度な正義を強調する何かの時に、要注意をする。本当に、誰かに都合のいい正義なのではないのか、という疑いを持って情報を正しく見る。みたいなものが必要になってきますね。
「それはひどい」「何てことだ」と感情を揺るがせたところに、善というものでそこに加担する習性をうまく介入させた情報が入ってきます。だから、特に感情を煽ってくる情報にこそ、注意を払わなければいけませんね。
そうですね。これは前回の対談でもお話ししたんですが、メディア操作、情報操作では、感情を煽るところが当然あって、そこは気をつけなければいけないところですよね。
しかし、我々は日本人として生まれてきて、しかも今国際的な流れ、世界的な潮流でいろんな変化が起きている中で、じゃあどうしたらいいのか、ということが当然出てきます。
▼これからの時代で日本人がリーダーシップをとっていくとしたら「和と調和の精神」
前回の対談でもお話ししたんですけれども、これからの時代で、日本人がリーダーシップをとっていくとしたら、「和と調和の精神」ではないかと思っています。
そうですね。最近支配と統治って、似て非なるものだなと、少し気づいたんです。リーダーシップとは、あくまでも支配ではなく統治だということで、じゃあ支配と統治って何が違うの?というところなんですが・・・。
あくまでも王家を支える支配というのは、縦の社会なんです。けれども統治というのは、あくまでも統べるために対話を重ねて、お互いの事情を察し、折り合いを求めて折衷案として落ち着く。そこには、横の軸の調和があるんです。
だから支配ではなく統治。コミュニケーションですね。お互いの気持ちを分かり合って和合することが、今からの統治のポイントだと思います。
自分の都合のいい正義を相手に押し付けると、どうしても悪が存在してしまうので、相手の事情を察して調和を求めることが大事なのだと思いますね。
これは、古くは聖徳太子の精神にも繋がってきますよね。
さっき冒頭で秦氏の話も出てきたんですけれども、そこまで全部一本の筋として繋がっていますよね。
そうですね。一説にはペルシャからやってきた聖徳太子たちが、いろんな文化や言葉を持ってきたと言われています。
日本の「和をもって貴しとする。」という精神は、日本だけにとどまらず、というところも背景にあったんですね。
今回お話ししてきた内容は、もちろんそういうことをたくさん発信されている方はいらっしゃるんですが、多数派の意見として語られているわけではないんです。
そうではないところの雑音みたいなものがたくさんあるので、もう少し時代の変化に応じて、我々日本人の良さをキャッチしていきたいと思いますね。
自分に没入してしまうと、周りが見えなくなることもあるので、誰かも自分と同じような事情を抱えている、ということをわかろうとすること。誰もが様々な思いを抱えながら今の時代を生きている中で、自分だけを分かってほしいと主張するのではなく、お互いの事情を分かり合い、手を繋ぐこと。そういったことが大事なんだと思います。
水の玉と水の玉が合わさっていくような心で接することで、また大きな輪を取り戻せると思うんです。二つに割れたイエスかノーかが、また違う形で一つになれるのだと。
垣根を取り払った心というか、意識というか、姿勢というか、そうしたものがポイントなのかな、という気がしますね。
それで実際のところ、前回もご紹介したんですけれども、高尾さんの場合漠然とした言葉遊びではなく、それを実践されているから凄いですよね。
小さな変化こそ大きな変化に繋がる植物のように、焦らず、じっくりやっています。結局生命の進化ってそこにあるので。人間はすぐ、ついつい焦ってしまうんですが・・・。
本当に足場、根っこを固めて大木になっていくように、今の時代は種が発芽する時期、いよいよ芽吹く時期なのでは、と思っていますね。
一度遊びに行きますね。
ああ、もう是非。
まず見てみたいんですよ。その生活を。
結構大変でしょう?山奥でいろいろと作業をするのは。
そうですね。人間としてこの地上社会を生きるのが、やっぱり楽しいですね。できないことができていく楽しみというのは、生きているならでは、の仕事なので・・・。
でも、もうなんだかんだクーラー10年使わず、というそんな暮らしなんです。クーラーがあってもなくても関係なく、あまり変わらないですね。不便と思うと辛い部分ってあるかもしれませんが、工夫がいっぱいあるので、意外と楽しいです。
またさっきの言葉を使うと、その不便さとトレードオフになっていて、そういういろんな気づきなり、導きなり、発見なりが出てくるということなので、もうそれはそれで、ありですよね。
一周して、今の、これから先の生き方のトレンドになっている、というかね。
そうですね。一周まわって、便利なものがいっぱいあるから故に、意識することに意識する、工夫することに工夫していく社会なのかな、という感じがしますね。
▼まとめ
じゃあ、そろそろまとめの方に入らせていただきます。
今回は「日本人とは何者なのか?」ということをテーマに、多方面からの切り口でお話ししていきました。
最初は民族的、文化的なアプローチから共通点があるというところで、よく言われていることなんですが、日本人が古代イスラエルの系統を引き継ぐのではないか、という話でした。
特に古代の歴史は、結論が出ない永遠のテーマなのですが、それはさておき、そういうところの血流があることを感じ取るだけでも、ロマンがあり、随分と意識が変わってくるのではないか、と思います。
またもうひとつよく言われることが、遺伝学的な系統も動かざる事実として、そういう流れがあるという話でした。そしてこの遺伝子の特徴が「親切で、真面目で、勤勉である。」ということです。
他にも高尾さんから、日本人が持つ言語の特徴や、食生活に関する特徴についても話していただきました。
そういう様々な特徴が折り重なって、今の日本人の特性を持つに至ったわけで、それは決して悪いことではなく、素晴らしいことなんですよね。
その素晴らしい日本人たるものを外部の人たちは気づいていて、少し言いにくいんですが、戦後、それをいろいろと分断するような政策になってしまいました。
それを、未だに引きずっているんですよね。そろそろ気づけよ、と言う感じなんですよ。別にこれ、右翼的な思想でも何でもないんですよ。右とか左とかに関係なく、我々日本人が今後どう生きていったらいいのか、ということのひとつのテーマとして考えていただきたいと思っています。
そして大事なのは、そういうところに対して罠、トラップをかけてくる人たちがいるので、誤った選民思想だけには陥ってはいけない、ということです。
「日本人だから凄い。他はダメだ。」というのがダメなんですよ。我々の精神が「和と調和」だとしたら、それは日本人以外の民族とも仲良くしていきたいという気持ち。そこが最も大事であるということです。
今後、この変化する社会の中で、日本人がリーダーシップをとっていくとしたら、「和と調和の精神」です。これは聖徳太子の時代から脈々と続く精神なんです。
遡ってはその前の古代の流れから来るのでは、というロマンまで感じさせる精神なんです。
ということで、まとめてみました。
人類皆兄弟というぐらい、結局D、Eグループも遡ってみれば、同系となってきますよね。いろんな交配があって生きているので、国境間の争いとかそういうものではなく、 同じ命の郷土文化圏として、どうやったら仲良くなれるか、というところを模索することが大事だと思います。
何が違うかで争うのではなく、違いを前提にどこに共通項を見つけられるか、というところにポイントをおくべきだということですね。
そうですね。前回、高尾さんがおっしゃったみたいに、争いの勝者になってもまた次の争いが生まれる、ということですよね。
それで、争いの勝者ではないという視点が持てる突破口になるのが、日本人の生き方ではないか、という風に考えています。
人間関係でも分かり合った瞬間、敵意もなく友達になれるところがありますよね。そこにお互いの好きな部分を見つけられるか、という己が敵だったりもするんで・・・。
諦めないで共通項を見つけていくことが繋がれるポイントだと思いますね。
今日は、色々とお話ができて楽しかったです。
また次の機会をお願いしてもよろしいでしょうか。
はい、お願いします。
では、今日は高尾洋平さんをお招きして、日本人についての話をしてきました。また、よろしくお願いします。どうもありがとうございました。
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