「心の病と見えない世界」
▼はじめに
皆さん、こんにちは。
今回もスペシャルゲストをお呼びしているんですけれども、今までのゲストの方とは少し異色な方です。
なかなか鋭い切り口で考察される優れた方で、「精神科医のお悩み相談クリニック」を発信されている芳賀先生です。
よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
では、芳賀先生の方から簡単に自己紹介をお願いしていいですか。
はい、ありがとうございます。
「精神科医のお悩み相談クリニック」というチャンネルを運営させていただいています、芳賀といいます。
うちのチャンネルでは、精神医学について真剣に情報を発信しておりますので、是非興味のある方は見ていただけると助かります。
よろしくお願いします。
私ぐらいの古い世代の人間には、精神科というのはすごく敷居が高いというか、そこに入っていくにはすごく勇気がいることだったと思うんですけれども・・・。
今これだけ心の病というものが一般化して、色々と深刻な社会現象になっていく中で、もっとそういう垣根を取り払って、実際のところの話をお伺いしたいと思っています。
よろしくお願いします。
▼不思議体験の中身の精査
それでは早速、本題に入っていきます。
私のYouTubeチャンネルでは、不思議な体験をされた方を取材して、それをまとめて発信する動画が結構あるんですが・・・。
実際にそうした取材案件があがってきた時に、これはその人の妄言や思い込みなどで言っておられるのか、本当にそれが起きているのか、ということのふるい分けをしていくんですよね。
私の知り合いに、超能力者の秋山眞人先生という方がおられるんですが、その先生がおっしゃるには、例えばポルターガイストといった霊的な現象と言われるものの大体8~9割ぐらいは、ガセらしいんですよ。
でもそれを全部ふるいにかけても、残る1~2割があるんですよ。
どうしても解明がつかないようなものですね。
▼精神科患者と健常者の境界線
それを考えた時に、実際のところ精神科のお医者さんの立場から、その方が本当に健常者として発言しておられるのか、心の病を持っている患者さんの発言なのか、その境界線をどのように線引きしたらいいのか、というところをまずお伺いしたいです。
はい。
まず1つ、すごく分かりやすい例で言いますと、話の筋道が通っているか、というところでまずふるいがかけられると思います。
例えば統合失調症症とか躁鬱病、双極性障害という病気があるんですけれども、そういった病気の場合は、やはり話の筋道が通ってこないんです。話がポンポンといろんなところに飛んでいってしまったり、道筋がぐねぐね曲がったりするんですね。
そういった思考障害というものが目立ちますと、やはり正常の思考ではない、完全に筋道立てていない思考なのではないか、という風に思ってきます。
他にもご高齢になってから発症してくる妄想性障害という病気があるんですね。大体独居の高齢女性に多い病気なんです。
これは海外の病名としては、統合失調症という幻覚とか妄想をきたすような病気と同じカテゴリーの病気なんですけれども、非常に人格水準が保たれる、人となりが保たれるんです。
つまり話も全然わかるんですが、物取られ妄想と言って、隣人が物を取っていってしまうというような妄想が多いんです。けれどもそういった妄想を話さない限りは、全く普通の人なんですね。
妄想の内容も、あり得ることを話してくるんです。そういう場合は、なかなか判別が本当に難しいんですね。
やはり問題になってくるのは、思考障害が目立ち、話が全然わけがわからない方よりも、話としては訳が分かるんだけれども、そのおっしゃっていることが本当なのか、本当じゃないのか、ということが判別しにくいケースだと思うんですよね。
そういう場合は、精神科としては「本当の本当には分からない」というのが本音なんですけれども、やはり場にそぐわない雰囲気というものを出してこられる方がいらっしゃるんですね。
例えば、私とこの患者さんと2人で面接しているんだけど、やたら周りを気にしているとか、すごく変に汗ばんでいるとか、語気が変に荒くなってしまうとか、そういった方が発されるオーラがその場にそぐわないと、少し精神疾患を疑ったりします。
▼「普通」と「異常」はグラデーション
けれども、そういったものも正常の場合には、やはり精神疾患を抱えてらっしゃる方なのか、普通の方なのか判断が難しいですね。
普通というのもスペクトラムと言って、グラデーションと言いますか、普通と異常とはすっぱり別れるわけではないんですね。グラデーションで、どこからこの線引きをするかという問題に過ぎないんです。
けれども本当の本当には、分からない方も、もちろんいっぱいいらっしゃいますね。
先ほどの秋山先生のお話ではないんですけれども、9割ぐらいはパッと分かるけど、1割ぐらいは本当に言っているのか、それとも病気なのかよくわからない、という感じになってくると思います。
だから今の8割から9割というお話は、それと共通した真理みたいなものも感じるぐらいの割合だと思います。
そうですね。
今1つ大きなキーワードが出てきましたけれども、グラデーションですよね。どこからどこまでにその境界があるのか、というのがなかなか判別が難しいですよね。
例えば現代病でADHDというのがありますけれども、あれも例えば得点化して何点ぐらいの何割ぐらい、という風なところで見ていくような形で、白黒を判別しているんではないんですよね。
おっしゃる通りです。
白黒判別ではありませんし、その方が置かれている周囲の環境によっても、どれくらいお困りになるかというのが変わってくるんです。
特に私は応援勤務と言って、週に1回ぐらい離島に行っていたことがあるんです。
住民みんなが農業か漁業をやっているような島だったんですが、そうすると精神的に都会だったら厳しいんだろうなという方が、何の問題もなく生活されている方も多いんですよね。
やはり、環境によって病気か病気じゃないかの線引きが大きく変わってくるんだ、ということをそういった状況からも身を持って体験しました。
▼どう考えても説明がつかない話
もう一度このテーマに立ち返ると・・・。
目に見えない不思議な体験というのは、私は依頼をされた方を客観的な第3者的な立場で判別するわけですが、ご本人さんにとってはそれが主観なので、判別の仕様がないと思うんです。
それでもあくまでも客観的な立場で見て、これはもう認めざるをえないような証拠みたいなものがあったら、判別できると思うんですね。
例えば、芳賀先生が体験された不思議な話がありましたよね。
患者さんで、「にゃん」という言葉を使った女性の話なんですけれども。
ありました。はい。
あれは説明がつかない話ですよね。
私は医者の大半は、科学者だと思っているんですね。科学的な見解をしているのが医者だと思っているんです。
しかしながらそういう考え方では説明がつかないような話もある、ということを特に現場の方としても感じていらっしゃるところなんでしょうか。
もちろんすごくあります。
逆に言うと、科学で説明がつかないというのは、本当に今の科学では説明がつかないだけなので、100年後、200年後にはいずれ説明が色々ついてくるんじゃないかと思うんですよね。
少なくとも、今を生きている我々では説明がつかないものというのもあって当然だと思いますね。
▼芳賀先生が体験した説明がつかない話
皆さんのために、先ほどの「にゃん」の患者さんのお話を、簡潔にしていただいてよろしいですか。
はい。
私のところに外来されている患者さんで、キャラクターとしては非常に大人の、洗練された女性の方がいらっしゃいました。
その方は精神疾患を抱えておられる方なんですけれども、私のクローズな狭い空間の外来では、「〇〇なんだにゃん」みたいな感じの語尾を話される方だったんです。
そのキャラクターは、他の病院スタッフは基本的には知らなかったんですね。ましてや、同じ待合室で待っていらっしゃる患者さん方も、知らないことのはずだったんです。
その方は毎週通われていたんですけれども、ある日外来に来られなかったんです。
「おかしいな。毎週必ず同じ時間に来るのに・・・。」と私は思っていたんですけれども・・・。
また別の患者さんで解離性障害といって、心理的な負荷によって痙攣をしてしまったり、意識障害を起こしてしまったりするような方がいらっしゃったんですね。
「にゃん」とおっしゃる患者さんが来られなかった後に、その別の患者さんが外来で来られて、白目を向いてガタガタ震えられて、「今日は来れないにゃん。」みたいなことをおっしゃったんですよね。
それでもう何なのか、はっきり言って私には分からなかったんですけれども、その時は全身の毛穴が開くような体験をしたんです。
「よくわかんないな」と思いましたけれども、やはり何十人も外来を1日で回していかなければならないので、その時はスルーしたんです。
けれども、後になって警察からの連絡で、その方が来られなかった日にお亡くなりになっていた、ということが分かったんですね。
(警察によれば、他〇事件として捜査中とのこと。亡くなった患者さんは別の患者さんを通して、挨拶に来たのだろうか?)
▼精神科患者と健常者の境界線
なかなか説明がつかなくて、非常に混乱したんですけれども、私としては、非常に私のことを信頼していただいていて、自分の内面も吐露されるような方でしたので、「お別れを言いに来てくれた」ということにしました。
でもそれは科学的にどうこうという話ではなくて、私の中では処理したという話ですね。
そうですね。
得てして科学的な立場をお持ちの方は、「全部それで説明がつく」というような、凝り固まった考え方を持っていらっしゃる方も多いと思うんですね。
でもそうではないところで、ちゃんと立っておられるのは素晴らしいなと思います。
ありがとうございます。
▼ワンネス体験や臨死体験を精神科ドクターの立場からみる
さらに深掘りしていきますと・・・。
私のチャンネルでは、結構臨死体験をされた方やワンネス体験をされた方がいらっしゃるんですね。
結論から申し上げると、私がこのチャンネルで取り上げているくらいなので、それが妄想のような感覚で言っているのではない、というある程度の確信があるんですよ。
ただそれを医学的な立場で見てどうか、というところで例として臨死体験についてのお話をしますね。
臨死体験者の共通するいくつかの項目があって、1つは「三途の川を渡る」というのがありますよね。
その前段階として、まずはものすごく心地よい感覚になるようなんですよ。
それを医学的な見地で言うと、おそらく・・・。
例えばある方が溺れかけていたとしますよね。そうするとおそらく、脳としてはまず必死に生きようという生命維持活動に全振りするはずなんですよ。
だから、もがき苦しむという苦痛を体に発することによって、生命を生き永らえようとするんですけれども、ある瞬間からおそらく脳内であるホルモンが出て、逆にものすごくハイな、気持ち良くなるようなことが起きてくると思うんですよ。
それが臨死体験と非常に似ているんですよね。一緒なんですよ。すごく心地よい気持ちになるというところが最初の入り口なんですよね。
ただ臨死体験は疑似的に死んでいるということなんですけれども、実際にその三途の川を渡って向こうに行ってしまえばもうそれは死んだ人ですから、誰1人戻ってくることはないのでしょうが・・・。
でも私が申し上げたいのは、ともかくギリギの状況に置かれても、やはり医学的な立場での説明はできるのでしょうが、私は目に見えないこの先の世界というのは実はあるんじゃないかと思っている、ということです。
その辺のギリギリのところの話を、芳賀先生はどういう風に思われていますか?
本当におっしゃられた通りですけれども、妄想というのは、基本的には医学用語としては、一般用語とは違っているんですね。妄想とは、実際とは違う間違ったことを固く信じていて、他人が修正できないのが医学的な定義なんです。
だから臨死体験を妄想と言ってしまうと、この臨死体験自体が間違ったことになるので、私は医学会に染まりきった人間なので少し違和感があります。けれども一般社会で使われている妄想としてでは、いい用語なんじゃないかなと思います。
それで、本当におっしゃられている通りですね。
人間がピンチに陥ると、まずは心拍数が上がってドキドキしてきて、冷や汗をかいたり、お腹が空かなくなったりするんですよね。本当に人生のピンチで、お腹が減ってたまらない人はいないはずなんです。
そういう時は、ドーパミンやエンドルフィンと言われている神経伝達物質、神経に作用する物質が出てきます。それは痛みを感じなかったり、気持ちいい状態になったりするんですね。
ランナーズハイといって、走っているとドーパミンが出てきて、足が捻挫していても走れるし、ものすごくいい気持ちになってくることがあるんですね。
副交換神経と交感神経とがあるんですけれども、やはり生命のピンチというのは交感神経がものすごく活性化してくるんですね。交換神経をものすごく高めることで、なんとか生き延びようとするんです。
その高めて生き延びようとする時に出てくるのが、このドーパミンやエンドルフィンで、それらが出てくると、脳内麻薬と言われているくらいですから、気持ちいい状態になってくるんです。
さらにこの「三途の川」は、社会通念的に基礎知識としてみんなが知っている知識だと思うんです。私も子供がいるんですけれども、子供たちが三途の川という概念を知っているかどうかは少し怪しいですが、私ぐらいの世代ですと三途の川を渡ってあの世に行く、という概念自体は知っているんじゃないかと思うんです。
だから強いて言うと、元々知っている記憶とか、そもそもこの三途の川なる理念も、原始記憶文化的に形成されていったものなのかもしれないんですね。
原始記憶と言って、人類が共通して持っている記憶ってあるんですよね。
「はるか昔から蓄積された人類としての記憶」というものがありますので、それは文化圏が違っても大体同じようなことを言っているんです。環境によって少し言っていることは変わってきますけれども。
死にかけてエンドルフィンとドーパミンが出てきて、原始記憶に立ち返ってまた戻ってくる、ということで説明がつくのかもしれないんです。
けれども、それにしてはリアルに生々しいことを語られる方は、やはり結構共通しているんじゃないかと思いますよね。
今の現代の科学では、みんなが同じようなことを語るのが、統計学的に優位なのか優位じゃないのか、みたいな話になってきてしまっているんですね。
たまたまだと思うのか、やはり絶対的に何かがあってそこにたどり着いているのか。
だから、たまたまみんな同じようなことを経験しているという考え方もあれば、何かやはり現代の科学では説明がつかないような体験自体が愕然とあって、それにみんながこの体験をしているのではないか、という考え方もできるというのが精神医学を学んできたものとしての立場です。
▼なぜ現代は心の病が増えてきているのか?
結構面白い話がいっぱい出てきたんですけど、次の話題にも繋がってくるんですが、今心の病を抱えている方が、人口比的にも相当増えてきていると思うんですよ。
1つは、昭和の時代などがそうなんですが、以前は集団行動が当たり前で、集団的な価値観で強制されていた部分があって、もしかしたらそういう人たちがもっといたかもしれないんですが、表だって出てこなかった、という部分もあると思うんですね。
それがタガが外れて、今のこの令和の時代は、自分の方向性を自分である程度決めることができるような時代なんですよね。まさしくYouTubeチャンネルなどがそうなんですが、自分が興味を持っている分野のところだけに寄り添って見ることができる時代なんですね。
こうして、個人の多様化というのが認められるような時代になってきたんです。
そこでは集団行動が苦手な人も、以前のように強制されることなく認められるようになり、そうなって初めて、社会適応能力に欠けると言われる人たちが表だって浮き彫りにされ、精神科のお医者さんにかかる割合が増えている、ということなのかと思うんですが、どうでしょうか。
▼現代はマルチタスクを求められる時代
1つの要因としては、本当におっしゃる通りだと思いますね。
あともう1つはですね、やはり現在の求められている能力、特に仕事なんですけれども、多様化していてマルチタスクを求められるようになっているんですね。
コンビニのバイト1つをとっても・・・。
私も学生の時、高校生、大学生とコンビニのアルバイトをしていたんですが、今のコンビニのバイトをされている患者さんとお話してわかったんですが、以前よりはるかにマルチタスクをこなさないといけないんですね。
時給は若干高くなりましたけれども、物価も上がっているし・・・。とにかく今のコンビニの業務って、結構賢くないと、そしてマルチタスクを同時にこなせないと、厳しいんじゃないかと思うんです。
だから本当に先生のおっしゃる通り、ものすごく色々な価値観などが認められてきましたけれども、逆に言うと色々な価値観にメットしないと、仕事にならないんですよね。
やはり一見多様性が認められてきて、素晴らしい世の中になっている要素もありますけれども、それに伴って求められるものも非常にマルチになっているので、生きるのが少し厳しい世の中になっていて、ミスマッチの方が増えているんだと思います。
ある意味昭和は、社会全体がいいコピーを作れば売れてきた時代だと思うんですね。
今はイノベーティブなことをしないとバカ売れはしませんし、本当に全体的に難しい世の中にはなっているなと、私は思っていますね。
そうですよね。もちろん精神的な心の病を抱えられている方は、その社会が生きにくいのでクリニックなどに行って、処方箋を出してもらうということなんでしょうけれども・・・。
人によってはそれが、非常にとんがった個性として発揮できる、という人もおそらくいると思うんですよね。
かつては例えば、ゴッホや山下清などですね。
サバン症候群的な人は、今ではおそらく患者ということになるんでしょうが、芸術家としてすごく尖った作品を残せましたよね。
またスティーブ・ジョブズみたいな人ですね。
少しサイコパスが入っているとも言われていますけれども、実はそのサイコパス的な能力を発揮したら、ものすごく優れた経営者になることもありますよね。
要するに、その心の多様化、とんがり方によっては、それが社会に適応できないイレギュラーかもしれないけれども、自分を磨くこともできるのでは、と思ったんですが。
本当におっしゃる通りだと思います。
人の能力を示すような6角形のグラフがあるとして・・・。
やはり一部の方は、この能力の六角形はいびつだけど、すごく尖っているものがあって、総量としては大きい方もいらっしゃいます。そういう方は、やはり活躍の場を見出してあげるのが私たち医療の立場の責任でもあると思うんですね。
けれども多少とんがっていても、やはりこの六角形がそもそもものすごく小さい人もいるんですよ。六角形が小さいから悪いというわけではないので、ものすごく小さい方も、やはりそれはそれで活躍できる場も見つけていかなければいけないと思っています。
けれども特に社会の損失になり得るのは、やはり尖っているところはものすごいんだけど他が狭いので、社会で弾かれて二次障害と言うんですけれども、鬱になったり、不眠になったり、不安が強くなったり・・・というのはもうなんとかしたいと思っていますね。
そうですね。
では、そろそろまとめの方に入らせていただきます。
まず、私は大前提として、目に見えない世界というものがあるということを元に活動をしています。
けれどもその人のケースによっては、それが本当は違った見え方をしてしまっているような心の病を抱えていらっしゃる方も当然いるんですよ。
そうなった時に、正しい処方箋で健常者のように社会生活が生きやすいようにしていくのも選択肢としてあると思っています。
だから芳賀先生のように、そうした理解がちゃんとある方というのは貴重だと思います。
逆に言わせていただきますと、そういった今の現代の科学で説明がつかないことに関して、それは違うという風におっしゃられるお医者さんも、結構いらっしゃるということなんですか?
はい、そうですね。
長堀優先生という総合病院の先生がいらっしゃって、目に見えない世界というのを柱に立てて活動されているんですが、そういった先生方もいらっしゃいます。
また、私のYouTubeチャンネルに登壇頂いた池川明先生もそうですね。
今は医学会全体では少数派なのかもしれないんですが、これだけ世の中が多様化して色々とニーズが増えていく中で、見えない世界というのも認めていきつつ、科学的な医者の立場も大事にしよう、という方もおそらく増えてくるんじゃないかと思っていますけれども、どうでしょうか?
いや、もうそのスタンスじゃないとまずいんじゃないかと思うんですよね。
やはり私たちの医学では、なかなか治らない患者さんなど、分かっていないことがすごくいっぱいあるんですね。そしてその分かってないことは、こういう方向で分かっていくんだろうな、という道筋すら分からないこともすごくいっぱいあるんです。
だから先生が専門的に取り上げていらっしゃる、今の科学で説明がつかないこと、目に見えないことというのは、「今の科学の目では見えない」ということで、それは当然ありますが、こうして探求していくことで、私はそのうち未来の科学は分かってくることが増えてくると思うんです。
多分、実際にそういう世界あるということは、どういうことでそういうことになっているのか、というのがみんなが腑に落ちる形で解明されてくるんじゃないかと思うんですよね。
死後の世界があるというのも、あったとしたらそれが何でどのようにあるのか、というのが解明されてくると思うんです。
でも今は分かっていないので、そういう意味では分からないことがあるに決まっている、と思っていないとちょっとまずいと思いますね。
そうですね。
例えば鬱病の患者さんなどがたくさん来られると思うんですが、精神科のドクターでよく言われるのが・・・。
結構患者さんと向き合うわけですから、そうするとその感覚が電波してしまって、ご自身が鬱病になるということもよく聞くんですよ。
憶測ですけど、自分のポリシーというか、筋が通っていないところで振り回されるような場合がそうなるのかな、と思ったりするんですよ。
おっしゃる通りだと思います。やはり患者さんに引っ張られるところはありますよね。
けれども私は個人的には、医者をやっている自分の人格と、家庭人としての人格、友人としての自分の人格、などというのはある程度意識的に分けようと思っているんですね。
これは私が20年やっているうちに、仕事をする上で編み出したというような感覚なんです。
だから患者さんが本当にうつうつとされていると、医者としての自分は引っ張られるところもありますけれども、だからといって別に他の人格の自分が引っ張られることはないように意識的にしている、といった感じですね。
でも本当に患者さんはエネルギーをお持ちなので・・・。
全く切り離してその気持ちが関係ないようにしてしまうと、やはり患者さんとの信頼関係が築けないので、本当に悲しい気持ちにはなります。
けれどもそれは医者としての自分がそうなっている、という感覚でなんとかやらせていただいています。
今日は色々と話を伺いましたけれども、心の病に対して少しでも気になる方がおられましたら、こういう風に活動されている立派なお医者さんもいらっしゃるので、考えていただいたらと思います。
先生は、YouTubeのチャンネルもお持ちなんですよね?
はい、持っています。
私は、零細1人語り精神科医YouTuberなんですよ。
そうなんですね。もし興味がおありの方は、そちらの方もご覧になってください。
今日はありがとうございました。
コメント