[池川明先生対談]/新しい感性を持った子どもたちの時代
▼はじめに
みなさんこんにちは。
今回は、胎内記憶の第一人者である池川明先生をお招きして、「新しい感性を持った子どもたちの時代」ということをテーマにいろいろとお話をしたいと思います。
一度取材を通して、池川先生の動画をあげさせていただきました。とても興味のあるお話だったんですが、1本の動画の尺の中では話せないこともあったので、ここではさらに、それを深掘りしてお話を伺っていきたいと思います。
私の方から簡単に池川先生についてご紹介します。
池川先生は、胎内記憶の第一人者としてたくさん書籍を出されている、産婦人科の医師でいらっしゃいます。
臨床の場で「胎内記憶」、生まれてくる前の記憶を持った子どもたちがいることがわかり、それについてのデータも集めておられるそうです。胎内記憶に関して先駆的な立場でいらっしゃいます。
では、先生の方から簡単に、自己紹介をお願いしてよろしいでしょうか。
みなさんこんにちは、池川明と申します。
横浜の金沢区というところで開業医をやっております。平成元年に今の場所でお産を扱う診療所を開設して、28年間出産を扱っていたんですけれども、今は外来診療だけになっています。
お産について、私たちは医者として「赤ちゃんは何も考えないで、目も見えないで、生まれてくる。」というふうに教わっていました。だからずっとそれをベースに、お産を扱っていたんです。
けれどもある時、子どもがお腹の中の記憶があるという話に出会いました。
それが本当なのかと思って調べてみたら、意外と多くの人がそういう記憶を持っていたということがわかり、「胎内記憶」を調べて学会で発表したりしていました。
けれども当時は怪しげな話、ということで信じる人は少なかったんです。
しかし昨今、自分の子どもさんが胎内記憶を喋る、というような経験もたくさん積まれてきていて、割と多くの方が信じて下さるようになりました。そういった現象を今調べています。
こんな形で日矛さんに声をかけていただいて、本当にありがたいと思っております。ありがとうございます。
こちらこそありがとうございます。
聞いておられる方が、例えば子どもさんをお持ちの若いお母さんや、お孫さんをお持ちの方だと、とても興味がある話だと思うんですよね。けれども大方の人は、あまり興味がない話なのかもしれません。
そうですね。普通の方にとっては、はっきり言ってどうでもいい話なのかと思うんですが・・・。
▼生と死の境界線に人の神秘を垣間見る
したがってアプローチの仕方としては、人間は誰しも死ぬわけだから、死についての興味はとてもあるわけですよね。
つまり「生と死の境界線に人の神秘を垣間見る」という考え方でいけば、死に対しての興味と同じくらい、生きること、生まれてくることに対する神秘性があると思うんですよね。
そこはあまり語られないんですけれども、誰しもがこの世に生まれてきた時に母親の胎内から生まれてきたわけだから、そこを辿っていったら、人間の生きることの意味が色々とわかってくるのではないか、と思うんです。池川先生、そこのところどうでしょう?
そうですね。生きるところと死ぬところが、繋がりがあると考えると・・・。
科学では、「肉体ができた時から滅びるまで、死ぬまでが一生だ。」という風に考えると思うんですね。
けれどもそこに不滅の、いわゆる昔から魂とか意識体とか言われるものがあって、これが肉体をまとった時が「生きている世界」で、肉体を脱ぎ捨てた時が「死んだ世界」だと考えると、これはずっと一貫して形を変え存在している命だという風に考えることができると思うんですね。
それで胎内記憶を調べると、生まれる前の肉体を持つ前の記憶がかなり出てくるので、ある意味死んだ後の世界もあるというのが自然に頷ける話になるんです。
けれども、科学的に「受精してから死ぬまでが人間の一生だ。」と考えると、死後の世界も考えられないし、まして生まれる前の世界もある、とは信じない人のほうが多いと思うんですね。
人間というのは、人によっては言い方が違うと思うんですけれども、魂のようなものがあって初めて自分自身なんだ、という考え方を持った方は、この「生と死の境界線」というものが、かなりはっきりと見えてくるような気がいたします。
やはり科学の世界では、死んだ後に何もない、と考える人が今まで多かったんだと思うんですね。いや、そうではないでしょう。死んだ後の世界も続くんじゃないですか、という風に考える方との相性は、胎内記憶はとてもいいんじゃないかと思うんですよ。
そうですね。実際のところ死後の世界、生まれる前の世界というのを想定した方が、極めて妥当で合理的な、腑に落ちるいろいろな見方ができると思うんですよね。
そういう世界観を持つことが、今後の時代においては要求されてくるんじゃないかという風に思っています。
いや、まさにその通りだと思います。
今時代の変革期に入っていて、おそらく科学万能の時代が200年ぐらい続いたと思うんですが、それがそろそろ綻びを見せ始めているんだと思うんですね。
「なぜ人間は生きているのか?」という問いに対して、いろんな回答があると思うんですね。それを子供たちに聞くと、「幸せであるため」みたいなことを言うんです。「幸せになるため。」と言うのが大人なんですけれども。
生まれた時から幸せらしいんですね。いつしかその幸せがなくなっていくのが大人で、もう一度幸せを再発見しろというのが人生だとすると、最初から幸せをなくさなくてもいいんじゃないか、という生き方もできますよね。
そういう時代に、今入っているような気がするんですよね。
▼胎内記憶をもって生まれてきた子どもたち
それでは、「胎内記憶を持って生まれてきた子どもたち」というのは、実際のところどういう話なのか、いくつか事例をお話しいただけますか。
やはり世界中の医学部で、「胎内記憶なんてものはない。」という風に考えています。赤ちゃんは、考えないし、目が見えないし、生まれてからもしばらくは何もわからないんだ、という風に考えるのが一般的な常識なんです。
けれども、「お腹の中で泳いでいた。」とか、「暗かった。」とか、「あったかくて気持ち良かった。」という話を20年ぐらい前に聞いたんですね。
これはね、本当に驚きました。
産婦人科医をやっていて、お産をだいぶ扱っていたんですが、お腹の中にいる時に超音波で見る様子や、生まれた時に誰がいたか、どういう話をしていたか、などを覚えている子がいたんですよ。
私たちは、当然分かるはずがないと思って扱っていたんです。そういった子どもたちの中には、私たちの取り組みや姿勢に対して、ある意味批判的な目を向ける子もいたんですよね。
それを知った時に、やっぱりちゃんとしなきゃいかんなと本当に思いました。全員ではないにしても、もし本当に覚えている子どもがいるとしたら・・・。
それで調べているうちに、「空の上からお母さんを見ていた。」という話が出てきたんですね。これがまた驚きで・・・。
胎内の赤ちゃんが覚えているというだけでも驚きなのに、ましてや肉体がない時の記憶を持っている子どもが出てきた。それが少なからず存在しているんですね。
ということは、「記憶って何だろう?」と思い始めたんです。
やはり科学の世界では、「脳に刻み込まれた情報」という風に捉えると思うんですね。でもそうではなくて、「目に見えないところの場所に書き込まれた記憶」も あるんじゃないかというようなところから、いろいろ考察を深めていったんです。
そうすると、「量子力学的な多次元の議論」みたいなものを入れることによって、説明は割とスムースにできるんです。正しいかどうかは別にして、いろんな次元を想定したり、魂の局在がどこにあるかと考えたりすることによって、胎内記憶は割とうまく説明できるようになるんですね。
そうしたら、それが正しいかどうかは別にして、それがうまく説明できるんであれば、とりあえず科学の調べられる範囲がここまでだとすると、もっと科学が進歩するまではこの理論を使ってもいいのかな、と思って胎内記憶というものはどういう仕組みなのかを考えています。
「私は女優さんになりたいから、美人のお母さんを選んできました。」と言われた時は、本当に驚きました。「なりたいものまで決めて、先を見て来るんですか?」という感じでしたね。
聞いておられる方で、例えば穿った見方をする人がいるとしたら、「そういうのは大人が会話の中で誘導しているんだろう。」というようなことを言うのは想定できると思うんですよ。
しかし、会話の中でありえない情報を披露するような子どもがいる、という話も2,3伺っていますけれども・・・。
私がある大学の有名な小児科の教授とお話ししている時に、「子どもの胎内記憶があるんです。」と言ったら、すぐに否定されました。日矛さんがおっしゃったように、子供は覚えているはずがないと。
それはテレビや親が言ったことを聞いて話したり、親を喜ばせようとして話したりしているんだ、という風におっしゃったんですね。その時は聞かなかったんですが、「じゃあ、これはどうなんだろう?」と思う事例があるんです。
玄関の前にお母さんとお子さんが立った時、お子さんが「お父さん、ここに手をついて謝ったよね。」とお母さんに言ったそうです。
後にも先にもお父さんが土下座をして謝ったのは、妊娠中の1回だけなんだそうです。何で土下座をしたのかはわかりませんが、何かとてもやばいことだったんですよね。
でもそれはテレビで言うはずはなく、親も子どもにそんなことを言ってはいないんです。なのに子どもが知っているというのは、「お腹の中にいた時に、外の情報をキャッチして覚えていた。」としか考えられないんです。
そういう事例がいくつもあるんですね。
例えばマンションの5階に住んでいた人が、出産時は別の場所、例えば2階建てのところに移っていたのに、「お母さん、5階に住んでいたよね。」と子どもから言われたり・・・。
また横須賀の方で、軍人さんに部屋を貸していた方がおられるのですが、その方の子どもは、居間でアメリカの兵隊さんたちがポーカーをして遊んでいたのを、覚えているそうなんです。
他の場所で生まれているので、その家にはいなかったんです。だから、それは知るはずがない状況なんですね。でも、部屋の間取りもかなり正確に言っていることから考えると、やはり何らかの方法で記憶として残っているのだ、という風に考えられるんですね。
面白いですね。ということは、やはり胎内記憶があると考えた方が自然ですし、ひいては生まれてくる前の記憶もあると考えた方が自然ですよね。
確か、滑り台に乗ってお母さんのお腹の中に入っていった、という話もありましたよね。
最初はですね、「蜘蛛の糸に乗ってきた。」とか、「天使が羽をつけて降りてきてくれた。」と言う子が20年前は多かったんですね。
時代の流れがあって、10年くらい前からは「滑り台」が多くなってきましたね。この世に降りてくるのにも、流行がどうもあるみたいですね。「いろんな方法がある。」と子どもたちが言うんですけれども。
海外で話したネイティブの方のお子さんも、滑り台とおっしゃっていました。
▼意識・心の領域と科学
「意識・心の領域と科学」というテーマでいくと、さっきのお話で「記憶している」ということを、現代医学で否定される部分があるとするなら、おそらく「記憶に関わる脳領域が発達していないと、記憶はできないだろう。」というところですよね。
それはもっともその通りなんですよね。大脳生理学的に言って、「脳が機能していないと記憶が成り立たない」という話ですね。
けれども想定として意識、心や魂と呼んでもいいかしれませんが、そういう脳機能を頼らなくとも記憶ができるものがまずあって、それが脳という箱物に入った時にその脳を使って記憶していくのだと考えたら・・・。私たち人間はそうしたものが脳に入る前から記憶するという機能を持っているのだ、と考えたら今の話は全部通っていくということですよね。
そうですね。記憶の研究もいろいろとされていて、例えばゾウリムシとかプラナリアという生物がいるんですけれども・・。
ゾウリムシは単細胞生物ですよね。それで光や温度に親和性のある個体と、そうでない個体がどうもあるらしいんですよ。
そこで好きな温度を覚えさせて、その記憶のあるゾウリムシをすり潰した液体を、覚えていないゾウリムシにかけると、その記憶が移るということが調べられてきています。
そうすると「脳がない単細胞なのにそれを覚えているということは、それは記憶なのか記憶ではないのか?」という議論もあります。
プラナリアという生物は、トカゲの尻尾を切るとまた生えてくるように、体を切っても再生するんですよね。いろんなところで切断したり、温度を覚えさせたりすることで、違う性質を持つプラナリアができるんです。
またプラナリアというのは、共食いするんですね。そして全然違う性質を持っているプラナリアを食べると、その記憶が移っちゃうらしいんですよ。そのようなことも研究されています。
研究者の方たちは、もっと細かい幹細胞の転移の問題とか色々と突き詰めていらっしゃるようですが、単純に私たちが考えるのは、記憶が移っているということですね。
脳がない細胞に記憶があるとしたら、もしかすると「細胞そのものに記憶があるのではないか。」という考え方もあります。こういう領域で考える最先端の人たちは、「細胞ひとつひとつに記憶がある。」なんていう風なことも言い始めていますね。
まず記憶というものの定義が難しくて、簡単に私たちは「脳で記憶している」と考えるのが一番シンプルではありますが、実際にはそれでは説明できない事象もありますよ、ということなんですね。
プラナリアは、尻尾から頭が生えてくるというやつですよね。
そうそう。ちょっとかわいい顔をしています。
不思議な生物ですね。今の話をまとめます。
生命体の意識というのは体に依存しないところに存在していて、それが体の中に入ってくるというような考え方を取った方が、自然だと思われる。
人間の場合、もちろん肉体をもって生きている時は、その成長の過程で脳がちゃんと機能していくのだが、子どもたちの中には胎内記憶や、生まれる前の記憶を持つものが一定数おり、そうした記憶を脳だけでは説明できない。
そのことが真実だと考えるならば、やはり人間の場合も同じく、生命体の意識のようなものがあり、母体に入って生まれてきた後もその記憶を保持しているのではないか、ということですね。
しかしながら、普通の子どもたちはそれがやがて、どんどん薄れていくと思うんですよ。なぜ薄れていくのかというと、おそらく必要がないからだと思います。
生きるということに全力で向かわなければいけないため、生まれた時に自分にとって必要がないものは捨てていく、ということですよね。
それが最近になって、生まれる前の記憶を持ち続ける子どもたちがいることがわかってきたのですが、そこに何か大きなヒント、鍵みたいなものがありそうな気がするんです。
はい。これはですね・・・。子供たちに「人間は、何のために生まれるの?」と聞いているんですね。
そうすると、答える子と答えない子はいるんですけれども、答えた子はほ全員「人の役に立つため。」と答えるんです。これは、ブレないんですね。
それは20年ぐらい前の話だったんです。けれども、10年ぐらい前から少しずつ変わってきたんですよ。
「地球を救うため。」という子が増えてきたんです。
ちょうどその頃、いわゆるヒーラーの方が「地球が危ない。」とか、「地球がだいぶおかしい状態になっている。」というような話を言い始めていたので、私はそれを救いに来たのかと思っていたんです。
そうしたら今度は「宇宙を救いに来た。」と言う子が、6年ぐらい前から増えているんですね。
それで「地球を救いに来た。」と言った時に、少し記憶のある中学生がいたので聞いてみたんですね。
「昔の子は、人の役に立つために生まれてきたと言っていたんだけれども、地球を救うためって、何か変わったの?」と。
そうしたら「同じことなんだよ。」と言っていましたね。
「地球を救うということは、お母さんを救うこと。人の役に立つというのは、まずお母さんの役に立つということ。だから両方とも一緒のことなんだよ。」と。
でも「宇宙を救う。」というのが、ちょっと意味がわからないんですが、いろんな方が、やはり「宇宙そのものが危ない。」というような話をしておられるんですね。
どうも地球というのがキーワードになっているらしくて、この地球が壊れると宇宙も壊れるような関係性があるらしいんです。だから壊れるのを少しでも食い止めるために、子どもたちが来ているような節があるんですね。
20年前は封印されていて、子供たちは簡単に喋らなかったんですね。喋ったとしても大人が誰も聞く耳を持たなかったので、「変なことを言っている。」で終わっていたんですが。
どうもそれだけではいけないような時代に今、入っていると思うんですよね。何か風雲急を告げるというか、「地球そのものを何とかしなければいけない。」という、生まれてくる魂たちの切実な思いがあるような気がするんですよね。
▼レインボーチルドレンに託された未来の地球
「レインボーチルドレン」ですね。私の本なんですが・・・。
これですね。(本を見せてくださって)
とてもいい本です。まだ読んでおられない方は、ぜひ読んでください。
読んでいただいてありがとうございます。当時9歳の男の子が、高次元の存在とアプローチして、いろんな体験をしていく話なんですけれども、ここではそういう固有名詞ではなく、そうした新しい感性を持った子どもたちのことを仮に「レインボーチルドレン」という風に定義付けをします。
今の話ですごく興味深かったのは、そういう新しい感性を持った子どもたちが、時代が進んでいくに従って、生まれてくる意味みたいなものをわりと共通認識としてわかっている、ということです。
はい、そんな気がします。
それが直近の話では、「宇宙の中の地球」としての位置づけでどうにかしなければならない、という話ですよね。
はい、もうそういう風に変わってきていますよね。地球だけの問題ではなく、相当私たちの生き方が、宇宙に影響してしまうらしいんですね。
子供たちが、それを多分知っていて来ていると思われるのですが、10年ぐらい前はそれを知っていたとしても、あまり人に言わなかったんですね。
例えば、「これ、動画に載せていい?」と尋ねると、「いや、駄目。」と言う声が多かったんです。
でも最近の子たちは、「いや、もうみんなに伝えたいから動画を撮ってください。」と言う子が増えてきたんですよ。みんなに伝えたいんだ、と。
だからもう、役割もだいぶ変わってきているような気がします。広報担当みたいな子たちがいるんじゃないでしょうかね、宇宙に。
もしかすると地球人が、こういう情報を伝えてもいいレベルまで上がってきたのかもしれませんね。
20年前に、この「レインボーチルドレン」のお子さんの本が出たら、極端に好きな方はいらっしゃったと思うんですが、普通の人は、ものすごく怪しげな話だと思ったでしょうね。
でも今や、「この本、いいよね。」と、なんかバイブルになりそうな本でもあるので・・・。
ありがとうございます。
時代が多分、半ばそれを要請しているのかな、という気がするんですよね。
人間のレベルが少し上がったのかもしれませんね。上がっていない人もいると思いますけれども、かなり上がってきたような気がします。
常々思っていることは・・・。私はずっと教育の現場で仕事をしていて、子どもたちと接する機会は結構多いんですよね。
古い感覚を持っている人というのは、何というか儒教的な思想、「年齢が高い人を尊敬しなさい。」という考え方をされることがあると思うんです。もちろんそれはそれで尊重したいんですが・・・。
魂の進化というところを考えたら、年齢関係なく魂がすごく進化している子どもっていますからね。
そういう子どもに接した時、私は常に年齢関係なくリスペクトをしたい、という風に思っているんですよ。そういう捉え方、そういう感覚で接することが大事だと思っています。我々大人の側から見て、頭ごなしに「どうせ、子どもだから」という風に扱うんではなくて。
おっしゃる通りだと思います。私と一緒に「胎内記憶教育教会」を立ち上げたおひとりの土橋優子さんという方は、ご本人自身も胎内記憶がある人なんですね。しばらく保育園をやっていたんですが・・。
その時、子どもたちが「お母さんを早く成長させてくれないと、僕たち活躍できないんで困るんです。何とか早く、5歳までには何とかして下さい。」と言いに来るそうなんですよ。
というのは、そのお母さんが頭ごなしに「あれはダメ。これはダメ。」と言われる方で、そういったお母さんの場合、子供の能力を潰してしまうみたいなん ですね。
そうすると、自分たちが本来生まれた目的を果たせないから、自分たちのことを尊重してくれて、その能力を伸ばすようにしてくれないと困るんだ、すなわち、お母さんが成長してくれないと、とっても困るんだということらしいんですよ。
親が子どもを育てた結果として成長した、というのが多分昭和の時代だと思うんです。けれども、意図的にお母さんたちのレベルを上げないと、これから生まれてくる宇宙に近い子どもたち、「レインボー チルドレン」を育てるのはかなり難しいと思います。
だから早く大人の意識を変えないといけないな、という風に本当に思っているんです。
そうですね。それから社会現象的に最近問題になっているのが、少子化ですね。本当に深刻な状態だと最近よく騒がれていますね。先々の未来は日本人がどんどん衰退していく。それは人口減に因るものです。
急激な人口減と少子化という問題があって、でようやくそれらが取り上げられるようになり、結果子どもが育ちやすい環境を作ろうという動きにはなっているので、それはある意味いいことですよね。子どもたちのことを、みんなで考えていこうという話ですね。
そうですね。ただ「肉体だけを見る考え方の教育」、というものを未だにやっていると思うんですけれども、これをやっていると多分、子どもたちの能力が花開かないような気がするんですね。
肉体はもちろん大事なんだけれども、少しその能力、魂的なところも見ていく、肉体も魂もどちらも大事で、両方あって初めて生きているということなんだよ、という概念の教育を早く作らないといけませんね。
どんどん少なくなっている子どもたちが、活躍できない社会にしてもしょうがないわけですね。活躍できる社会に生まれなければ困るので、そのように変えていただきたいなと思うんです。
プラスに考えていったら・・・。今、社会構造がどんどん変わりつつあるんですけれども、この時代の変化の波の中で一番適応能力があるのが、未来の子供たちなのかもしれない、という希望を持ちたいんですね。
今回コロナでね、3年ぐらいマスクする時代を経ていますけれども、その時の子どもたちって顔が見えないから、表情を読み取れないと思っていたんですよ。
しかし優子さんに聞いたら、「いやいや、子どもたちは目でアイコンタクトをとって読み取るから、大丈夫なんですよ。」と言うんです。なんか進化しているらしいんですね。
それからあるお子さんは、お母さんが添加物のこととかを非常に気にされていて、「電磁波は良くない。」「放射能が良くない。」「食べ物が良くない。」などと言われるんだそうです。
でも、「僕たちは解毒できるから大丈夫です。」という子どももいるんですよ。「お母さんが心配するから、一応食べないように、近づかないようにはするけれど、僕たち大丈夫なんだよね。」と言う子もいるんですね。
だから、本当に肉体的にも進化しているような気がするんですよ。
今のお話、興味深いですね。個々の事案ではなくて、地球レベルの集合意識ですね。共通認識で見ていったら、時代の流れは逆に、そこにいろんなヒントが生まれてきますね。
そうですね。それを信じると、本当にあらゆる可能性がまた広がってくるん ですよ。子供たちに聞くと、全員ではないかもしれないけれども、間違いなくそういう子がいるんですよ。
それで、「これからはエーテルネットワークの時代になる。」と私は聞いています。
物理では、エーテル体があるということは、今否定されているんですけれども・・・。ともかく、エーテル体という細かい粒子があって、光が通るときその媒体を通して光が伝わるんだ、という説があったんです。
そして、それをどうも子どもたちが使っているらしいんです。いわゆる「テレパシー」ですね。この空間に浮いている粒子を想念で波立たせて、周波数を作ると相手に届くというもので、これを子どもたちがどんどんやっているらしいんですよ。
それで先日、大学生になったお子さんで、まだ胎内記憶がある方がおられるので、「この子どもたちって、テレパシーを普通に使っていませんか?」と聞いたら、「あっ、使っていますよ。」と答えたんです。
これからはそういう時代になるんでしょうね。けれども大人が、そこに一気に行くのは難しいので、とりあえずメタバース、仮想空間の中で「ある」ことを体感で分かった上で、エーテルネットワークに移行するらしいんです。
なるほど。
そういう時代になると多分、争いがなくなりますね。
はい、そうですよね。 相手のことを想うということだからですね。
そうそう。それをまず最初に、お子さんとお母さんで始めてほしいなと思うんですよね。
お父さんも巻き込んで、家族で子どもとの会話をお腹の中にいる時から始めて、お子さんが何を考えているかわかるようになったら、もう9ヶ月間トレーニングをして生まれてくる子どもたちじゃないですか。お母さんたちも9か月間トレーニングをしているわけだから、その後すごく育児が楽だと思うんですよね。
なるほどですね。「レインボーチルドレン」の中でも語っているんですけれども・・・。今おっしゃった「テレパシー」という能力は、普通には使えないと思われているんですが、実は、人間は内在的に持っているんですよね。
でもそれをなぜ使えないかというと、皆が使おうとしないからなんです。そういう環境があるからなんですよね。
言い方を変えると、そういう感性を持った子どもたちが、どんどんそれを使い出していったら、それが当たり前の方の世界にどんどん移行していくんですよ。きっとね。
そうだと思います。それで大人も負けないよう、置いてかれないように、少しトレーニングをした方がいいかな、と思っているんですけれども・・・。
そうですよね。大人の立場としてはメタバースとか、そういうところを駆使しながら、一生懸命についていくようにしていきたいと思いますね。
そうです。やはり補助具がないと私たちはついていけないので、多少デバイスの力を借りつつ能力を高めていくことができれば、相当違った世界になると思うんですよね。
そうですよね。可能性がすごく広がってきますよね。今の話を伺っていると。
ただ、聞き慣れた皆さん方は、「胎内記憶の子どもたち」というところだけで見ておられるかもしれません。
けれども実は、人間の生きる本質みたいなものをそこに垣間見ることができるんですよ。そうすると、我々の今後の未来にかかってくる話になるんです。そこを含めると、結構明るい未来も見えてくるんじゃないか、と思っています。
そうですね。子どもたちに大人がついていけば、かなり明るい未来になると思いますよ。
子どもたちに聞いたんです。「君たちが、生まれてきた目的を果たすためには、どうしたらいいの?」と。
そうしたら子どもたちは、「楽しく生きることだよ。」とみんな言うんです。 自分らしく生きること、楽しく生きることというのが、実は人を助けるとか、人が生まれてきた目的を達成する方法らしいんですよ。
だから「みんなが、世の中が明るくなれば、みんなが救われる。」という事ではないかと思います。
そうですよね。この発想はいいですね。
聞いた子供たちがみんな同じことを言うんですよ。
「楽しく生きたらいいんだよ。笑って暮らすんだよ。自分らしく生きるんだよ。」と、みんな言うんですね。だから一つの解決はこれかなと思っています。
いろいろと教わることがありますね。
もう子どもたち、すごいです。本当に。
今日は本当に長いこと、いろんな話を伺いましてありがとうございました。また今後もこういう形で、池川先生のお話を伺えたらと思っています。
もしよかったら、ぜひまたお声かけください。とても今日嬉しかったです。ありがとうございます。
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