【目覚めよ日本人!今の時代にこそ求められる日本人の精神性】/医師・長堀優先生に聞く

目覚めよ日本人! 今の時代にこそ求められる日本人の精神性

▼はじめに

日矛

皆さん、こんにちは。
今回もまた、素晴らしい方をゲストにお呼びしています。育生会横浜病院院長長堀優先生です。
よろしくお願いします。

長堀優

こんばんは。
今日はよろしくお願いいたします

日矛

私の方から少し、先生についてお話をしますと・・・。

最近YouTubeなどでも活発に発言をなさっていて、著書もたくさんおありです。
医者の立場は、どちらかと言うと科学者よりの立場なんですが、先生の場合は左脳と右脳のバランスが非常に取れていらしゃるんですよね。


もちろん西洋医学も素晴らしいと思うんですが・・・。
悪しき意味の西洋医学的なものだけに凝り固まらないような発想もされているところが、先生の非常に素晴らしいところだと思っています。
では、先生の方から自己紹介をお願いしていいですか。

長堀優

はい。皆さん、こんばんは。育生会横浜病院の院長の、長堀優と申します。
私は元々は外科医です。ことにであるとか、あとは救急医療人の生死に関わる場におりました。

若い頃は西洋医学の本当にポジティブな面、特に救急医療などは素晴らしい効果を発揮するんですが・・・。

ただ、だんだん私も年をとって、今度は治っていかない人たちに目がいくようになってきたんですね。よくよく考えれば、人はみんな死んでしまうわけです。

西洋医学を進める原動力になったのは、唯物論と言いますか、「死んだらもう終わりで、何も残らない。」「見えている物質が全てだ。」という考えだったことは、ある意味間違いないんですが・・・。
だったらみんな死ぬわけですから、「じゃあ敗北してみんな死ぬんだ。死は本当に嫌だな。」という風に若い頃は考えていたんです。

けれども、治っていかない人を見ると、実はみんな敗北していないんですね。堂々と受け止めていったりするんですね。死を「怖い、怖い」と言っていた人も、最後まで死を怖がって逝くといったことはないんですよ。みんな受け入れて逝くんです。

「これは、何なんだろうな?」と、非常に不思議だったんですね。

ただ、西洋医学にはその答えはありませんでした。その答えを持っていたのが、東洋哲学なんですね。それでそちらの方に、非常に私の関心が向いていきました。

▼量子論が東洋哲学と西洋科学を結びつけつつある

長堀優

結局、死に近づいたり、もしくは病気をしたりして気づくこともあります。さらには、「どうも見えないものが、だんだん死が近づくと見えてくる」。そういった感覚も持つようになってきました。

そうした、実は見えない世界を意識しているのが東洋哲学であって、そこを視野に入れると、実は支援の取り組み方が全く変わってくるということに気がついたんですね。

そういったことを様々、量子論と絡めました。
実は量子論というのは、西洋科学のある意味進化した形ではあるんですが、その大元は東洋哲学と繋がるんですね。

その量子論が、実は東洋哲学と西洋科学を今結びつけつつあるんです。そこに新たな生命論が展開しているのが今の時期である。そんなことを色々話しています。

▼量子力学と仏教の「空」の世界

日矛

私は、「パラレルシフト」という書籍を出させていただいているんですが、その中でも最先端の今の量子力学というものが、仏教の「空」の世界と同じところに行きついているという話があって、まさしく今おっしゃった通りですね。

先生の場合は、医療の現場にお立ちになって、西洋医学的な唯物論的な見方の限界を感じられて・・・というところが発信の元なので、非常にしっかりとした土台に基づいた考え方だという風に思っています。

それで、今回を含めて二回に分けて、色々とお話を伺っていきたいと思っています。

▼日本人の死生観

日矛

今少し出てきました、死生観についてですが・・・。
「人が生きるとは?」ということに対する「霊性」という考え方。そういったことは、おそらく日本人が割と直感的に持っているものではないかと思います。

縄文時代から、そういうものを遺伝子的に持ち続けているのではないか、という仮説を立ててみたんですけれども・・・。
そこのお話から伺ってよろしいでしょうか。

▼古神道と自然崇拝

長堀優

はい。
縄文以来、日本人に染みついているものというのは、所謂「古神道」と呼ばれている考えではないかなという風に思います。

その後の宗教というのは、やはりいろんな形が入ってくるんですよね。像であったり、建物であったり・・・そういったものが結構目立ってくる。

日本の古神道は、まずは自然崇拝があります。自然崇拝の陰にあるのは、八百万の神への崇拝だと思います。
川にも、山にも、もちろん木々にも、全て命があるんだ。そしてどれも尊重すべきもので、そうした中で、自然を尊重しながら自然と共に生きてきた。それがおそらく日本人の古来の生き方である、という風に思うんです。

▼形の後ろには意識がある

長堀優

量子論でいえば二重スリットの実験で、「意識が介在してエネルギーが粒子化する。」という仮説が生まれてきたんです。
要するに「形の後ろには意識がある」ということです。
哲学者のシュタイナーも、「形は、形になりたいという意志が形になったものである」と、全く同じことを言っているんです。

量子論も哲学と同じようなことを言い始めて、物質の奥に意識を語り始めたんですね。
まさにそれは、八百万の神そのものだと思うんですよね。

▼日本人が持っている循環型の社会

長堀優

日本人は、そういったものを感じながら生きてきた。

しかも今更SDGsとかそういったことが出てきますが、そんなことは関係なく、昔から循環型の生活をしてきたわけです。それが江戸時代まで続いていたんです。

江戸の町は完全なリサイクル社会でした。排泄物もみんなで肥やしにしたりとか・・・ゴミも出ない、そういった社会を築き上げていたわけですよね。
それこそが、縄文時代が一万年続いた秘訣であると思います。


しかも、「全てはみんなのものである。」という、繋がった感覚もありました。
そういったものが古神道の中にも入って、おそらくは今だに日本人の遺伝子の奥底に刻み込まれているのだという風に思います。

▼自然の中に神が宿る

日矛

そうですね。

今のお話を伺ってすごく感じるのは、例えば神社のご神体を考えた時に、鳥居の向こうが山だったり、岩だったりすることもあるんですよね。
つまり自然崇拝、アミニズムという風な考え方で、「自然の中に神が宿る」という、宗教という言葉すら超えてしまっているんですね。

そういう日本の考え方が、古来から脈々とあるんです。

けれども一方で最近の日本人は、アンケートを取ると「無宗教である。」と答える人が結構多いそうなんですよね。大体、六割から七割がそう考えているようなんです。

でも、そこで言う無宗教というのは・・・
おそらくキリスト教やイスラム教などの一神教の神とは違う概念を持つからそのように答えるのかもしれない、と思ったりもするのですが、どうでしょうか?

長堀優

実際に、一神教とは違う精神性があるんだと思うんですが・・・。
若い方たちはどうかわからないんですが、私たちの世代はやはり、「おてんとう様が見ているから」といったようなことを言われてきた。

要するに、「私たちを生かす大いなる力への崇拝」があるわけですよね。生かされているんだと。そういった大いなる力に対する絶対的な信頼感。それがあるわけです。

そういった中でみんなと暮らしているわけですから、当然連帯感も湧いてくる。そうなれば、おのずと自己抑制も効いてくると思うんですよ。
「みんなと一緒なんだから。」「生かされているんだから。」「やっぱり好き勝手できないよね。」と。


それが日本人の奥底にある道徳観であって、だからこそよく言われるように、落とし物が返ってくるといったような精神性も、やはりその縄文以来の日本人の考え方にあるのではないかという風に思います。

▼和合の精神

長堀優

それが宗教観と言いますか、日本人の生き方、道徳観に繋がっていて、それがあるからこそクリスマスを祝ったり、結婚式はウェディングでお葬式は仏教だったり・・・。
戦争がないと言えば戦争がないんですが、そういったことをできてしまうんです。

さらには聖徳太子は、神道と仏教を融合したわけですよね。それが、明治維新で分けられてしまうまでずっと続いてきた。そんなのは日本人だけです。

イスラム教もキリスト教も、同じキリスト教、イスラム教でありながら、宗派が違うと戦争するわけですよね。
そういうところでは神仏統合とか、そういった考えは絶対出てこない。やはり日本だけの独特の行動であるので、それも日本人の道徳観には大きな影響を与えているという風に思います。

▼日本人と西洋人の違い

日矛

日本人の一種独特な自然を崇拝し、自然と溶け込むような宗教観、世界観というのは、きっと西洋人から見たら少し異質なものなんでしょうね。

西洋的な考え方というのは、例えば契約書があって、契約の不履行や履行などで人を判断したりするんですけれども・・・。
先ほど言われたみたいに日本人の場合、落とし物が戻ってくるというのは良心の呵責というか、そこに基づいて行動する規範があるというような感じですよね。

そこは何か根底から違いますよね。

長堀優

そうですね。有色人と白人の二つに分けるわけではないんですが、大きく分けて相反する流れが二つあるように感じています。

▼森の民 母音の民

長堀優

よく言われるんですが、一つは自然と仲良く暮らす、所謂「森の民」と言われている流れですね。
それが日本から環太平洋にずっと繋がるんですね。
イヌイットであるとか、さらには向こうに行けばネイティブインディアンであるとか、さらにはマヤであるとか・・・ずっと繋がっていく。そしてそれは太平洋全域にも渡るわけですよね。

キャプテンクックが驚いたと言われていますが・・・。
あの広大な太平洋の島々は船で行っても相当大変なのに、そこにいる人たちが同じ言葉を喋っていて、これに驚いたという言葉が残っているんです。
けれども実はそれは、日本語にも通じるんです。要するに母音が強いわけですよね。森の民の言葉は母音が強い。


フィリピンのタガログ語もそうです。それからインドもそうです。古代ヘブライ語、さらにはケルト語、みんな森の民と言われているんです。

特にケルト、アイルランドの民謡は日本語とぴったり合うわけですよね。「仰げば尊し」であるとか、「蛍の光」であるとか、繋がるわけです。アイルランド生まれのラフカディオハーンが日本の文化に惹かれたというのも、やはりその森の民の遺伝子が関係するのではないでしょうか。

そして自然の音は母音になりやすいと言われていて、アフリカもそうなんですけれども、母音が強い言葉が森の民を繋げてきたんです。

▼西洋人は子音の民 利己主義の限界

長堀優

一方寒いところ、良い悪いではないんですが、そこにやはり所謂白人の精神性がある。
その人たちは母音に対して、子音の民と言われています。日本人にとって習得しにくい言葉ですよね。日本人はなかなか子音というのが分からない。

大きな違いがあるんですが、そういった民たちは非常に厳しい自然の中にいた。自然というのは、放っておくと自分たちを滅ぼしてくる。これは恐怖だと思います。
森の民は、ただただ自然は自分たちに恵みを与えてくれる存在。
ところがそうではない人たちもいたわけですよね。

そこではやはり人にかまっていると、自分が死んでしまう。これは厳しいですよね。

そういう人たちと利他と利己、どちらにバランスを取るかの問題だと思うんですが、その葛藤がやはり今に続いているのではないでしょうか。

利己に偏る人たちは、やはり喧嘩が強いわけですよね。喧嘩が強くて、世界をずっとこれまで支配しようとしてきた。
ただ支配しようとするエゴ、それからですよね。結局唯物的な考えが出てきてしまうんでしょうが、それが行きついたのが今であって、もう唯物的な経済が壊れようとしています。

当たり前ですよね。物や国を奪い合っても有限、限りがあるわけですから、いつかは必ずどこかで行き詰まって破綻する。それが今だと思います。

▼日本人は白人に対抗した唯一の民族

長堀優

森の民たちは何を一番にしたかというと、「心の平和」です。食べるものが満たされているというところもあるんでしょうけれども、奪い合いがない。

ただ喧嘩が弱いということがあって、今はずっと負けてきたわけですけれどもね。そんな中で、日本人は実は日露戦争で白人に初めて勝った。さらには先の戦争では、植民地をみんな解放したということもしているわけです。

そういった日本人は、白人に対抗してきた唯一の民族だったりするわけなんですが、それを向こうも知っているのか、今とことん追い詰められているという風な状況かと思います。ただ気づく人が増えてきた。それでこの先どうするかということが、今私たちみんなに問われているんだと思います。

▼白人にとって異質な日本人

日矛

本当に今の話を伺っていて考え深いのは、この白人社会というのは、本当に侵略の歴史ですよね。支配民族と非支配民族のぶつかり合いと言いますか・・・。

ですので、奪い合うということが正義とする歴史の中では、勝者が歴史を作るという風な考え方ですよね。

けれども今この時代に来て、これだけ国際レベルでの、例えば地球環境問題とか資本主義の弊害であるとか、色々なことが起きる中で、それではどうしても立ち行かなくなるような時代に今来ているということを、多くの人が気づいているということですね。

ですからなおのこと、譲り合いといったような遺伝子を持つ日本人の考え方が、西洋人にとっては理解に苦しむというか、少し恐怖を感じるところもあるのでしょうか?

長堀優

そうでしょうね。

やはり自分たちとは全く異質なものですから。しかも戦争では強かったわけですよ。例えばマッカーサーは、フィリピンの戦いで散々負けているんですね。

日本人は死を怖がらないで、国のために命を捨てる。そういったことがすごく怖かったらしくて、フィリピンで負けた後もう命からがら逃げているんですよ。得体が知れないと思いますね。しかも「なんだこいつら!自分の命が惜しくないのか?」と、非常に恐怖にとらわれたと思います。

それが戦後の非情なまでの、GHQによる「日本文化をとことん破壊する。日本人の精神性を壊す。」そういった政策に繋がっていったんだと思います。

▼教育の歪み

長堀優

それが70年~80年経って、今、本当にとどめを刺しにきているという感じがします。

例えばドクターですよね。ドクターは国家試験というのを通過しなければいけない。国家試験は膨大な勉強量が必要なんですが、全て暗記なんですよ。こういうものがあったらこうだとか、答えがある。でも実際のその臨床の現場で、答えなんかなかなかないわけです。
ただ、そういった考え方を失わされている。

実際その国家試験の前は、友達と勉強しながら、「こんな暗記ばかりあったら、考える力を無くすよな」と、笑いながら言っていたんですけど・・・。

結局それが今に繋がっているわけですよね。何も疑いを持たない。それがこれだけの薬禍。もう本当に薬害と言っていいと思うんですが、それを起こしてしまった。しかも、まだ気づかない人たちがいる。

日矛

今のお話で私も教育関連の仕事に携わっていたんでよく分かるんですが、偏差値主義、学歴主義というのは、もう本当に骨の髄まで染み込んでいて、それがGHQの政策が遠因にあるというのはよく分かるところです。

実際のところ本家のアメリカの方では、自主性というところが保たれていて、そちらの方が本来の教育のあり方なんですよね。

それを今までその歪められた教育の方に、日本人はずっと慣らされてきているということなんでしょうね。

▼歴史を奪われた

長堀優

そうですね。全くおっしゃる通りです。

あとは歴史を奪われました。これも大きいですね。自分の国を愛せない。

私も留学した時に、あちらの家に呼ばれてお友達が来ている中で、「日本の伝統の楽器は何だ?」と言われたんです。
その当時諏訪内さんとか、いろんな日本の演奏家が海外のコンクールで優勝したりしているので、私はそういったことが向こうの人も感心してくれるんではないか、と思ったんですが、一切そんなことありませんでした。

まずは、「自分たちの文化は何だ?」と聞いてくるわけです。結局、雅楽になるわけですが、そういったトラディショナルな音楽は、今はほとんど日本人は手にすることはありませんし、耳にすることもほとんどありません。

皇室であるとか、あとは神社で演奏されるぐらいで、習っている子も本当に少ない。大体ピアノとかバイオリンだと言ったら、その人は「君たちの文化はそんなにつまらないものなのか」という感じで、そこから話をしなくなってしまったんですね。

結局、自分たちの文化に誇りを持てない人が、他の国をリスペクトするわけはない。まずは自分たちの文化を大事にするんだ、と。

結構日本は興味を持たれているんですよ。古い皇室があるし、伝統文化も様々あって、そういったところに実はヨーロッパ人は興味を持っている。
それを聞きたかったんです。「なんだこいつ、何も知らないのか」という感じで、本当にがっかりされたんだと思いますね。

▼日本語について

日矛

日本人としてのアイデンティティというのが非常に大事だ、ということを傍から見たら思うんですよね。
我々は単一民族国家で、日本の国内で過ごしているので、なかなかそこは気づきにくいところなんですけれども・・・。

敗戦後に奪われていった文化など、色々なものを失っていったんですけれども、一つ救いになる点を申し上げると、「日本語が残っている」というところですね。これは大きいですね。

長堀優

おっしゃる通りですね。

日矛

例えば南米の植民地とかは、スペイン語とポルトガル語が席巻しているし、フィリピンなどに至っては英語が話されている。インドも英語が公用語だったりするんですが、日本語だけは残っているんですよね。
これは非常にいいところですよね。

長堀優

本当にそうです。私は日本人の定義として、日本語がしっかり解釈できること、理解できること。それも一つの条件だと思うんです。どこで生まれようと、やはりこの日本語をしっかり喋れること。

日本で生まれた若者も、最近危ない人が結構いますけれども、結局その日本語の特徴であって主語がないわけですよね。主語が省略されていると言い方がありますが、そんなことはない。
主語はないんです。結局言葉として、みんなで共有している状況を喋りますよね。

例えば英語も3単元のSというのがありますが、ドイツなんかは主語によって動詞の形が変わってくるわけです。主語がないと言葉を発することができない。

ところが、日本語はそうではないわけですよね。
川端康成さんの「雪国」は、「トンネルを抜けるとそこは雪国であった。」という有名な一節から始まって、その短い言葉だけで、真っ暗な中にいきなり白い点が見えて、それがパーっとドラマティックに広がってくる。そういった光景が眼前に広がるわけですよね。これは英語では表現できないんだと言います。

全てそのみんなが共有する。そういった独特の日本語を喋ると、実は争う気持ちが消えて優しくなるんだそうです。
だから、その言葉自体が日本人の精神性にも関わっている
、ということも言えると思うんですよね。本当にこの言葉が残っているのは、奇跡だと思います。

日矛

そうですよね。これは本当に救いだと思っています。
先ほど最初のお話で、「環太平洋の文化圏というのが母音文化である」ということで、日本語は母音に特徴があるという話なんですが・・・。

実際のところ、例えば自然の虫の音(ね)を外国人が聞いたら、単なる雑音にしか聞こえないそうなんですよね。それが日本人が聞いたら、それをちゃんと虫の音として聞くことができる。それは日本人というよりも、おそらくその日本語を話す人、ということに行きつくんでしょうね。

長堀優

おそらくは、子音と母音がしっかり分かれていて、母音がないと言葉を発することができない。その独特の日本語を喋る上で、その子音と母音を聞く脳が違ってくる。そういったことがあるんだと思います。

日矛

今日は少し話が色々と飛んでしまうんですけれども、例えば神代文字、カタカムナですね。この話は、そういうところの話まで広がっていきますよね。

長堀優

「神代文字は江戸時代にできた。」という話もありますが、そんなことはありません。
本当に石に刻まれた文字がしっかり残っていたりするので、昔からあるし、言葉自体はこれは人間が発明したものではないですよね。

言葉がないと文法を持つ言葉は発明できないので、やはりスピリチュアルな人たちは、「宇宙から降りてきた」と言っていますが、私もそう思います。そうとしか考えられない。

さらに、昔のそうした「神代文字は、宇宙のエネルギーをそのまま映したものだ。」という風にも言われています。

▼日本語が持つ言霊の力

長堀優

それが、おそらくは母音も強かったんでしょう。
だから日本語が持つその言霊の力ですね。言葉の持つ力。それはおそらく他の国の言葉と比べても、強いんだと思います。

そういった「神代文字のエネルギーを宿している」ということも、あるかもしれません。そのような意味では、日本語は本当に大きいと思います。

日矛

はい。
この話の続きは次回、またお伺いしていきたいと思います。
今日は素晴らしいお話を、ありがとうございました。

また次回もよろしくお願いします。

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