2023年、 これからの未来のカタチ

これからの未来のカタチ

日矛

今回はゲストの方を交えてお話ししていきたいと思います。高尾洋平さんです。

高尾

お願いします。

日矛

わたしから簡単に高尾さんについてお話しさせていただきます。
私が高尾さんと出会ったのは、あるクラブハウスでした。その中になかな鋭い視点でいろんなことを語っておられる方がいて、それが今回のゲストの高尾さんでした。是非ともいつか対談したいと思っておりましたところ、ようやく実現にこぎつけたという流れです。

今日は「2023年、これからの未来のカタチ」というテーマでやっていく予定です。私の動画自体はスピリチュアル系の動画なのですが、今回はそれを少し抜きにしてフラットな話をつなげていきたいと思っています。
高尾さん自身は少しワンネス体験的なこともされていて、なおかつ左脳的にもすごく優秀な方であるとお聞きしているのですが、簡単に自己紹介をお願いします。

高尾

高尾と申します。
いろいろな仕事を経て、今は田舎秘境暮らしみたいなことをやっていまして、衣食住を自然界の中に身を置いて暮らしています。現在は隠遁というよりも、森羅万象の研究をしています。自然の生態系からミクロの微生物、電子や分子まで多岐にわたった研究をしながら、様々なプラットホームで発信していたところです。

  

<大きな変化の波が来る時代> 

日矛

独自の切り口でちょっと変わり者の2人が取り上げようというテーマで、まあ面白い企画になると思っています。
この動画は2022年の年末に出そうとしているのですが、改めて今回のテーマが「2023年、これからの未来のカタチ」です。なんでこんな大げさな話をしているのかというと、2023年だけにかかわらず今この大きな時代の流れ、潮流というのが来ているのではないかと思うからです。

どの時代でもおそらく大きな波の変化が来ているというのは、過去において有史以来ずっと言われ続けていました。例えば鎌倉時代、末法思想というのが流行り世の中が戦乱で乱れた時に「世の中終わるぞ!」ということで新しい鎌倉仏教が出てきました。浄土宗とか日蓮宗とかですね。

けれども我々が今生きているこの現代から見たら、鎌倉時代というのは流れの駒のひとつにすぎないのです。しかし今この時代において、そういう本当の意味でドラスティックかつダイナミックに大きな変化が来ている、ということが言えるのではないでしょうか。そのへんのところどうでしょう。高尾さん。

<メディアなどの旧体制の急速な崩壊>

高尾

そうですね。長らくいろんな話を見ていく中で、例えば1999年ノストラダムスのアングルモア大王だとか、その直後に出てきたフォトンベルト、2012年12月23日の前の週末にいわゆるアセンションをするだとか、いろんな潮目があったと思います。その中でそもそもノストラダムスの予言が終わった直後、口々に話していた人たちが急に何も言わなくなり、結局それって何があったのか未消化のまま次に来ているような思いもあり、そこから少しおさらいしてみたいと思います。

2000年まではどういう時代だったかというと、特に○○金融会社というところがすごく横行していて、いわゆる消費者金融がスパークしていた時代でした。また、某宗教団体や某暴力団がフィーチャーされていて、どちらかというと嘘というもの、その虚構の中の権利というものがすごく強まっていた時代だったと思います。

それがこの2000年以降、例えば各界の不正、レスリング協会やボクシングなど政治から芸能界までいろんな不正や嘘が通用しなくなり、要はことごとくバレていく社会というのが始まったのだと思います。

そして不自然なビジネス形態がどんどんいらなくなり淘汰されていく中、やっぱり嘘は通用しない、真実は明るみになるということが個人レベルでも起きている。

それまでは自分の嘘や建前で〇とするのが社会の通念で、本音を押し殺した方がいい社会だったのが、今「個人の本音を伝えていきましょう」という潮目が2000年ぐらいから来ていて、より真実に向かっているように思います。

今までは「古い形式や概念、社会通念に前ならいしましょう。それが正しいのです」みたいなのが社会の正しさでした。それが今は、例えばSNSという個人の発信媒体が追加される裏側には、メディアが推していたプロダクションやスポンサーが推していた芸能人が売れなくなったという背景があります。要は売られた1個のエンターテインメントに価値を見出せない時代になってきたということです。特に個人のSNS、一般人がメディアすら作れないものを作り出した時代に、いよいよメディアがフィーチャーするのが個人になってきたというところが、大きな次元上昇というか、団体の誰かに作られた権力の人よりも無名の個人が実は主役だったというところに時代の潮目が切り替わりつつあるのだと思います。

日矛

そうですね。だいぶ概略を今言っていただいたのですが、もう1回最初に戻って話したいと思います。さっきフォトンベルトの話をされましたが、マヤ暦で言ったら2012年とかも終末論的な話が出てきて、その辺りから所謂ニューエイジと言われるアメリカの考え方で、スピリチュアル的に言ったらアセンション、次元上昇のことですよね。人間の魂というのが3次元から4次元的、5次元的なものに切り替わっていくと言われており、それが今も進行中だと・・・。

そもそも私がスピリチュアル的なものを発信しておきながら言うのもなんですけれども、「アセンション」という言葉自体少し手垢がついていて、いろんな 誤解や誤謬を生んでいるという風に思っています。だから1回 そこから距離を置き、さっき高尾さんが言われたみたいに現象面をもう少しフラットに見た時に変化が起きていて、その現象面の変化というのは事実としてあるわけです。だからその現象面を見た時に、つまり我々のこの魂の変化が繋がっているというところではないかと、おそらく結びついていくのではという話なのだと思います。

それで今さっきおっしゃったみたいに、この2000年頃から20年ぐらいかけて緩やかにメディアがどんどん崩壊していますよね。つまり先ほどの話の中で、だんだん嘘をつけなくなっている。形作られた出来上がりのものでみんなが満足しなくなっている。個人の発信力が強くなっている。そして急速に今、崩壊しつつあるということなのでしょうね。

 

<ディープフェイク・情報操作に踊らされる危険性>

高尾

そうですね。やはりその作り上げたものが、今まで誰かの都合によってクローズアップしたニュースだったりするので、作られたものにあまり価値を見いだしたくなくなった人たちが増え、テレビの視聴者数の減少につながっているのだと思います。結局そういう見せられたショーにはもう流石に飽き飽きしてきたというところでしょう。真実だとか、よりこう本質的なものに興味を持ち出しているのだと思います。

それで情報が、トランプ政権ぐらいからフェイクニュースという言葉が出てきて、今は真実か噓かというところが僕らの価値観の中に出てきたところですね。

日矛

そうですよね。私、動画の中でディープフェイクの話も取り上げていますが、動画の画像でデータの証拠があったとしても、そこに嘘をねじ込んでくることができるということです。今までは、例えば昔の昭和世代だったら、テレビでの前でみんなが集まり大晦日だったら紅白を見たり、ニュースを見たりして一元的にただ発信される垂れ流しの情報を受け取るだけだったのです。

しかしながら、インターネットが出てきて情報が双方向性的になってくる。おまけにSNSによって個人が情報を発信することができるようになってくる。そのことによって、「情報というものが実は操作されている」ということに人々が気づき始めたわけです。

ただ、その「操作されている」というのが個人レベルだけだったらまだ良いのかもしれないのですが、それが国家レベルとか、あるいは大げさに言うと地球レベルとかいうところで深刻な状況が来ている、という話だと思っています。
 

まず何でそんなことを申し上げるかというと、ここのプラットホームがYouTubeなのでNGワードは隠語を使ってお話ししますと、一番端的な例としては、例えば例のはやり病ですね。はやり病が出てきた。それでそれに対して予防接種をするかしないか。この選択は個人に任されている。あるいはそれに対しての影響がどうだとか、それはもちろん今もって主たるメディアであるテレビを見たら情報が出てくる。けれどもその情報が果たして正しい情報であるかどうかは個人の判断になってくる。そうして全部が個人に責任が問われる時代になってくるのではないかと思っています。

<個人の能力が問われる時代>

高尾

そうですね。特にやっぱり情報が錯綜するというのが、まず1つ現象として増えてきています。今まではメディア媒体、雑誌などからの情報発信がおおもとだったのですが個人考察も含めてパイが、2桁0が増えるくらい情報量が増えたと思います。それがいろんなSNS、プラットホームがあるからこそ情報が派生する。

結局今から問われ訪れるものが何かというと、「目利きの時代」だと思います。

情報の玉石混合がある中で、あたかも自分の寄せたい見たい情報を本当のように思える脳の機能、自分に寄せたい情報を集めてはさも正しく思える時代というか・・・。例えばTwitterであれば、フォロワーしている人が自分の好きな価値観を発信すると、世界がそういうふうに出来上がっているように錯覚するところもあります。SNSの特性だったり、僕らの脳の勘違いだったりするのですが。

要は、「好きな人が真実を言っているとは限らないし、自分が好きではない人が真実を言っている場合も往々にしてある」ということです。だから好きな人が言っているから正しいのではないという時代になってくると、今後何を信じるかと言ったら究極的には「自分の見る目」だということになるのだと思います。

  

日矛

今のお話すごく興味があるというか、面白かったですね。
確かに、例えばこのYouTubeというところはすごくたくさんいろんなチャンネルがありますが、自分が見ていた動画の嗜好性を捉えてAIがおすすめに上げてきます。そうするとすごくレンジが狭いところでの嗜好の回転で終わってしまう危険性があるということです。確かに自分と価値観を共有する人の情報の方が、居心地いいですよね。でも、居心地がいいのが果たして是か非かというところの問われ方も出てくる。だからこそ、そこをプラスして「ちょっとして待てよ。もっと違う見方もあるのではないか」という見立てがこれから必要になってくるのでしょうね。

高尾

そうですね。

あくまでも情報は素材なので、それが全てだとは限らなくて、ある素材と別の素材が繋がった時に真相があったりする。AとBが繋がったCが実は真実だという場合、Aだけでは計り知れないということです。

だから今回のはやり病もそうですし、そこに対する対処策も裏表があるということです。自分が見たい情報とは裏腹に、そうではない自分の外にある情報にも目を向けることが大切だと思います。要は「自分が好きな人が言っているから正しいと思っているかもしれない情報」を、一度自分の内に対する感覚に問いかけ調べてみるということです。そして情報が両側面揃った時に初めて見えることが、その人の情報になるのだと思います。

日矛

確かにそうですね。

例えば今、ウクライナで戦争をやっていますが、我々はもちろん日本に住んでいるので西側の情報しか入ってこない。しかもそれがメディアという牽引性があるところから電波として流れてくるので、それがあたかも正義であり真実であると見ている。けれども、もしかしたら違うかも・・・というようなところもあると思うのです。

だから最初高尾さんがおっしゃったように2000年からだんだん今の体制が色々な綻びが出てきている中で、少し馬脚を表しているのが「情報というのは操作されている」ことが、分かる人には分かってきているわけです。

だから例えばドローンを飛ばして「これだけ破壊して成果がありました」とか報道しているのですが、果たしてそれが真実かどうかというのはまた違う話であって・・・。一番大事なことは、そのメディアから流されている情報をそのまま鵜呑みにするのではなく、それを一回その正反対のことを考えてみることだと思っています。

アメリカの大統領選でもそうなのですが、それぞれの陣営による情報の操作合戦ですよね。だからそういうところに踊らされることなく、うまく見極めなければいけない。そういうことですよね。

高尾

ある事例をもとにある勢力の情報が急激に広がったことがあったのですが、特に情報元が出した被害者意識に感情的に揺さぶられて「何それ。そんなことが起きているの。ひどい。かわいそう。」という思いが、さも「正しい」に変わる。

つまり感情に揺さぶりながら情報に正当性を持たせていくような手法が入ってきている。人間の可哀想という感情に訴えかけ、うまく情報に感情を紐づけることが往々にしてあるということです。

日矛

はい。

一番端的な例で言うと、イラク戦争の時にある少女がアメリカの議会で発言した話で、その少女が実はそうではなかったということがありました。今はもうもみ消されていて全然フォーカスされていないのですが。

実は多々そういうことがあるという話です。あまりここで話しすぎると、チャンネルが飛ぶので・・・。

もう1回最初に立ち返ると「これからの未来のカタチ」で、今大きな波が来ている。そしてその大きな流れが隠し切れないようなところまで来ていて、例えばメディアの崩壊の話をしました。あるいはもっと現象面で言うと、地球の環境問題の話。それから金融システム。資本主義そのものがもううまく機能していないような時代になっている。そのように世界全体が大きく変化しているということですよね。

高尾

そうですね。もういろいろ先行きが見えないというか、どこかで辻褄が合わなくなってきた。そこで例えば通貨発行券。個人間の貸し借りで金利が増えていくともう政府が把握できないお金が増えていくので、毎回統制の動き、金融リセット的な動きが経済フォーラムで示唆されています。大きな変革、社会的修正作業が一回入るのかもしれません。グレート、偉大なる〇〇という名目上、何かが起こる可能性があるというのは、団体がもう言っていらっしゃるので、何らかの金融の変革だったり、社会基盤の変革だったりがもう目の前かなというところまで感じます。

日矛

これは所謂〇謀論とかオカルトとは全然違ってリアルな話です。テーマとしては「個人の能力が問われる時代」です。

先ほど金融○○について話されましたが、例えば昔は郵便局に定期預金を預けるだけで資産は増えていった時代もありましたが、現在は全然違います。今は自分が築いていく資産を防衛するにあたって個人の能力、情報リテラシーが問われていて、例えば円建てにするのかドル建てにするのかというところも含めて、結局は個人の能力が問われ、自分の身に降りかかってくるという話です。

これは別の遠いところで行われている対岸の火事ではないのです。今起きている地球レベルでの変化の中で、我々は劇場の観客側に座っていたら多分流されるままに終わってしまうでしょう。もちろんそれを選択しているという事になるのでしょうが。だからそうではなく、あくまでも自分たち 一人一人が当事者であるという視点、それが大事だと思います。

  

<新しい世界観・価値観の構築>

高尾

面白いサイクルがありまして、昔は「武士80年」というサイクルがあった後に、「軍人80年」というサイクルがあって、「企業人、会社員80年」というサイクルが続いたらしいです。

この80年サイクルという周期が、2013年から新しい何かになるという話がずっとあります。武士、軍人、企業ときたら次は何かということなのですが・・・。

そのような周期性、構造的サイクルを基に、アメリカで「個人、フリーランス」という流れに来ていると示唆されています。日本でもそうですが、必然的にも個人というものにフィーチャーされる時代になってきました。宇宙の主役は自分ということです。

日矛

今の話は80年周期で価値観が目まぐるしく変わっていくという、ひとつの波のことですね。それが有史以前のすごくオーバーな言い方をすると、例えば人類が農耕牧畜を始めました、次産業革命が来ました、というそのくらいの大きなレベルでの社会の変革の波が来ている。それがちょうどいろいろな波が重なっていて、それで変化が出てくるということで、言ってみれば新しい世界レベルの価値観を全体の潮流として構築しているということです。

構築するということは、崩壊するということなのです。崩壊の先に構築があるわけですから。そこに対して 我々一人一人がどうやって乗り切るかということになるのだと思います。

高尾

ここでさっきの感情に煽られるという話ですが、正義と悪や喜びと怒りが二分化しやすくなってきた時代の中で、新しい価値観でも戦いでは戦いを克服できていません。この数千年間いまだに争いという病を克服できない中で生きているのです。

それで新しい価値観というものは「どう許すか」というところに至ると思います。悪を排除して主役が交代しても、新しく主役になった人たちが誰か都合の悪い人を追い出す可能性もある。権力というものはそういうものなのです。
だから戦いではない次の着地は、いかに許し合えるかというところに至ると思うのです。善悪ではないどちらでもない世界、 第3視点みたいなものです。テーゼに対するアンチテーゼではなくアウフヘーベン。すなわち第3視点というものが唯一解決する方法だと思います。

アインシュタインもおっしゃっていたのですが、物事のAとBの問題の中で AとBをひっくり返しても解決しないときは、Cを作ることによって初めて物事が打開するのです。
一例で言うと、喧嘩している誰か(二人)がいます。その横でCさんたちは超楽しそうに祭りを始めます。その傍らで喧嘩している二人は、楽しそうなCさんたちを見て自分たちのやっていることが虚しくなって戦いをやめるという話です。

結局楽しい人たちがそこで強い影響力を持つので、結局は戦いを止めることに繋がっていく。そういう時代が今来ているのかもしれないと思っています。

白でもなく黒でもなく桃色、ピンクの世界が第3視点。白と黒がグレイだという話がありますが、地球上で朝(白)と夜(黒)の間は、実は朝焼けや夕焼けのピンクだったりするので、桃色。ハッピーな人たちが実は今からの新しい社会軸のイニシアティブをとる人たちになると思います。社会の否定や悪をやっつけようではなく、社会を楽しめる人間たちが第3視点を持って善悪を超えた存在として新しい価値観で一気に目覚めていく。そんな兆候が見られます。

日矛

おっしゃる通りで、例えばもう核戦争の危機の1歩手前みたいな状況に来ている。あるいは金融が立ち行かなくなってきてガーファムでさえおかしくなってきている・・・。というところで、世の中の人がもう競争とか争いでは解決できないということに少しずつ気づき出しているということです。そういう現象面が実はスピ的に言うとアセンション(次元上昇)という言い方に繋がっていくということになるのでしょうが。

話が長くなるので今回は少しだけにしますが、私たち日本人というのは基本「譲り合い」の精神です。その奥ゆかしさが、外交では全然価値のないものとされ自分を主張しないと言われていますが、逆です。

今こういう状況の中で自分のことばかりを主張し合うこと自体に問題があるのです。だからある意味そういう日本人がすごくターニングポイントを握っているのではないでしょうか。私たちのこの生き方自体が新しい価値を見出していくのではないかと思っています。

高尾

実は良くも悪くもですが、日本人は特に抹消神経の数が多く昆布のような海藻の旨味成分を分解できる消化酵素を持っていると言われています。それだけ海洋時代が長かったことが影響しているようですが。とにかくDNAの中で多くの抹消神経と繋がっていて、良くも悪くもすごく繊細で気が利く人種なのです。日本語は世界で類を見ない孤立言語なのですが、圧倒的言語数があって、それだけ物の認知ができるベースがあるということです。

例えばなかなか英語圏では難しいかもしれない「虚しい」とか「寂しい」「侘しい」の違いは、認識の差があるからこそ存在する言葉です。昔の日本の古い色でもあれだけの色全部に漢字の名前がついている。それだけの言葉のレパートリーがあるということはそれぐらい色の識別がつく、細かく認知できる機能を持っていることの現れです。

これはある種言語機能としてはすごく高度かつ細かいものがインストールされた私たちが、言語設定で天才すぎるが故に空気を読んでしまったり精神を患ったりしてしまう、要するに病みやすい民族であることにも繋がります。

だから、ある種うまくそこを統合できれば目覚める人種なのだと思います。他の中では解けない言語、バランスシートを持っている。物理界ではアタックという力学的な強さがパワーという認識なのですが、見えない世界ではバランス、調和こそがパワーなので、そこに今からどんどん行き出す人たちが増えていく潮目なのかと感じています。

日矛

今すごく大きなキーワードが出てきました。見えない世界はバランス、調和がキーワードであるということ。調和こそがキーワードであり、オーバーな言い方をしたら、今の世の中は「もう調和の方向に向かうしか、おそらく我々が今後活路を見出す道筋がない」と、それくらい言い切ってもいいと思います。

高尾

でも大きな周期性の揺らぎがあって、元々古代人たちは宇宙との感覚をもとに生きてきましたが、紀元前500年くらいプラトンやアリストテレスが出てきてから、言語というものがいろいろとレパートリー化していきました。そこから概念の認知が細かくなるにつれて、まず宇宙から意識が離れていったのです。でも細かく自分の認知を落とし込むことによって、ある周期を超えてもう1回その宇宙観に戻っていく今は原点回帰といったところです。

ある種嗜好性が強い時代と精神性が強い時代というのがある周期性のもとに何千年サイクルで起きていて、またこの宇宙観に戻ろうという潮目が始まっている。物質時代の終わりというか精神時代の始まりというのが、2000年ぐらいからきている感じです。より感応に戻り、宇宙観として感じやすくなってくる時代にまた戻って来るので、そういう風に感じていらっしゃる方が多いのだと思います

  

<これからの時代は、情報リテラシー+個人の発信能力+個人の生きる力が試される>

日矛

今ここのテーマが「これからの未来」ということで、サブテーマ的には「我々ひとりひとりはどうやってどう生きていけばいいのか?」ということになるのですが、その一つ大きなヒントとして「調和」に価値観を見出していくということになりますね。

もちろん例えば資産を守っていくであるとかの自己防衛はあります。あるいは体に対して入ってくる異物をどう対処するのかであるとか。けれども基本は、いろいろなことの民族的な対立ではなくて調和という方向に向かっていくということ。それを一つの基準として考えていけば、いろいろなことが見え出してくると思います。

これからの時代というのは、情報リテラシー、個人の発信能力、それから個人の生きる力が試される時代です。マスメディアにしても大企業にしても、どんどん崩壊していく中であるいは国家体制すら頼ることができないような状態の中で、個人がいかに自己防衛して自分の中での価値を見出すか。そしてそれがひいては調和の方に繋がっていくっていうことになるわけだから、今ここにあげたことを三つ巴にしていくことが大事だと思いました。

高尾

リテラシーに限れば全体性を基にいろいろ見ていくことが必要だと思うのですが、言いたいことがリテラシー上どうなのかと考えてしまい、個人の発信能力とリテラシーが相反することもあります。

際どい情報であるものにどうコミットするか。ネット媒体が広がって自由意思尊重が認められても、リテラシーを考えて結果ないものをあることにした発信が独り歩きすることもあります。日増しに大きくなり、後でデマでしたということもあるので、特に目新しいもの、飛びつきやすいものには1回懐疑的までとは言わないとしてもちゃんと考察を入れることが大事だと思います。

バズっているツイートだからと安易にリツイートしてみた後、全然そうではなかったとわかることもあります。リテラシーというものは瞬間的な告知はしやすいんですが、こちらの一言は実は内容によっては重いこともあり、加害者になることもあるのです。プラットホームの利用者が増えたので、あの人はこんなことを言っていたと吊るし上げられることも・・・。

  

日矛

そうですね。
もう1回時系列的にまとめると、昭和の時代にテレビが台頭してきて、全体でもブラウン管の中から垂れ流される情報が全てだと思っている時代がやってきた。その後に時代がSNS、インターネットが出てきて個人が発信する時代がやってきた。今がまさにそうです。

私もYouTubeと言う場所を借りていろいろな発信をしているので実感としてわかるのですが、これですら絶対ではないです。つまり時代中の一つ、ポイントにすぎないのです。

ではこのSNSの次に来るものは何かと考えた時に、まさしく今高尾さんが活動されている例えば古民家でライフワークを独自に確立されているという話のように、その活動そのものが発信しているということにつながってくると思っています。だから敢えて言葉巧みに何かを発信しても、そういうことにみんなが飽き飽きしているのではないでしょうか。所謂エンタメで笑いを取るだけの物で、浅いところで終わってしまうような気がします。だからそうではなく、本物志向みたいなものがおそらく今後どんどん出てくるのです。もしかしたら、SNSに変わる何かが出てくる可能性だって当然あると思います。

  

高尾

そうですね。結局発信内容だと思うのですが、誰かが言ったような思想とかだとやはり密度が薄いという気がします。その人の行いやアクションの背中が発信力になるのだと思います。特にTwitterの140文字よりは、行動軸みたいなものが評価される。今まで論客的なものがワンツイートバズることはあったとしても、でもそこでは知性のひとつ、見方のひとつなので、これからは行動をしていくことがより評価されていくのだと思います。

  

日矛

高尾さんの生き様がまさしくそうですね。

今の若い人たちがこういう生き方があるのだと価値の見出しができると思っています。それが次の、個人の生きる力が試されるところに繋がってくるのではないでしょうか。

  

高尾

かたや35年ローンで家を買って人生の大半をお金を払うために使って、定年迎えてやっと払い終わったといっても、田舎にはゴロゴロ1円でも売りたい人はいるみたいで、何ならあげたいという人もいっぱいいるわけです。

そうなると自分の人生をローンのためにお金を使うというよりは、もっと豊かな人生のために使う道を考えるという生き方もあると思います。家賃やローンを組まなくてもいい持ち家が手に入ると聞いた瞬間、ヴィジョンとして「あっ、やってみたい!」と思ったことがやる気、行動に変わるということがあるのです。誰かの背中に感化されるというか。

  

日矛

今、貴重な情報が出てきましたね。

確かにそうですよ。私も30年ローンとかを組んでいて大方の人はそうなのですが、今現状として空き家問題があるわけです。そういうことに敏感にキャッチしている人は、違うところのフェーズに行けるのですね。

それで、まずそういう情報が汲み取る。それから行動力、実践。そしてこの生き方をきちっと自分の中に落とし込む。この3段階を進んでいけば面白い生き方ができるということでしょう。

  

高尾

これまた面白い話なのですが、本音で生きることによって勝手に住んでみたいと思っていた景色があったのです。それで便利屋のようにいろいろな地域の世話事をやる中で、家をもらってほしいという話があったのです。行ってみると思い描いていたビジョンのままの景色でした。

こういう形がペイフォワードというのかもしれません。何か全体性の貢献を持って行動していたら願ったわけではないのに、後ろを振り返ったら一番欲しかったビジョンのものが用意されていた・・・みたいな。

これが、今から未来の形で起こる循環です。自分の生き方やあり方が自分のため、利得のためだと「奪うエネルギー」になりますが、みんなに差し出すというか・・・。この頂いた命の中で、人間が破壊と消費と汚物しか出していないような中で、「何をもって私たちは生まれてきたのだろう?」とふと思ったのです。

地球というこの1個の意識体、感情体。この大きな生命体、命を育んでいる地球から無尽蔵の生きるエネルギーを私たちはもらいつつ、私たちの感情とか意識をいかに愛に還元しながら大元の集合意識に還す循環が今水の循環のように起きています。でもまだまだ滞っている時代なので、回していく、循環するというのがテーマの時代だと思います。始まりと終わりがありホースみたいに入っては出ていたのが、終わりと始まりが繋がり巡っていくことが今からの時代だという感じはあります。

  

日矛

いやいやなかなか面白いですね。ちょっと話が尽きないですけれども、そろそろまとめに入りたいと思います。

今回のテーマが「これからの未来のカタチ」ということでもう1回最初に立ち返ると、今は大きな時代の転換点に来ている。これが有史以前の本当にオーバーな言い方をすると、人類の今後の方向性を決める重大なターニングポイントのような時代に来ている。それで大上段に大げさなことを言いつつ、実は個人個人がどう判断して生きていくかというところに最終的な結論が出てくる。今までのようにメディアなどの情報に振り回されたり情報操作に踊らされたりすることなく、個人が個人の価値観で生きていく。それが自然な流れとなって調和を生み、大きなうねりとして一つの地球の「アセンション」魂の次のステップに進める流れが来るのではないかということですね。

  

高尾

次元上昇という言葉が3次元とか、空間の上の方に上ろうという傾向なのですが、実は見えない世界は反転していましてより深化といいますか、深まる方ですね。上昇というのは密度。波動が高いという言葉がありますが、波動の高いもの は高密度で、細かい波の密集なのです。波動が低いと粗いエネルギーなので、波が荒いということです。

上昇というのは、上に上っていくというよりは、中の芯の密度がよりポテンシャルを高める、内なる次元上昇のことです。3次元縦横奥行きでいくとどうしても上に上るような、宇宙にという感じなのですが、内なる芯の自分にどんどんぎゅっとこうポテンシャルが高くなるのが次元上昇というところで、3次元的空間で見るのではなく、内なる芯に向かうということです。

  

日矛

おっしゃる通りですね。

あたかも電車を乗り換えるみたいに次の電車に乗るのではなく、心の中での変化がどんどん起きているということなんですよね。心の中が変化することによって見える景色が変わってくるという感じですよね。

  

高尾

そうですね。

特に細胞が起きた時により心というか自分の中でいろんな巡りが始まるので、今からそのような時代に来たなと感じています。

  

日矛

私たちこの変化の時代に生まれてきて、ある意味すごく楽しみではありますね。これからですね。

  

高尾

本当にそうですね。

絶望的なニュースや悲観的なニュースは一即面でしかなくて、あくまでも素材であると。そこを愛を知るためにその悲観的な情報を愛の悲しみをもって愛を知る。怒りをもって許し、愛を知るためにいかなるものも存在するというので、愛と不安はイコールではなく、愛の中にたまたま一部不安という見方があるだけで愛の中でしかないことをもう一回思い出せたらいいなと思います。

 

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